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《台湾の心.台湾の情─廖修平.江明賢二人展》,東京:渋谷區立松濤美術館,2009。
王秀雄
台湾で廖修平といえば、誰もが台湾現代版画の熱心な推進者であることを知っている。1973年から76年にかけて台湾師範大学美術系では、彼に帰国して、彼がフランスや米国で学びまた独自に築き上げた各種の版画技法を伝授することを特別に要請し、台湾の版画を伝統的な木版画制作の墨守から、現代版画の創作へと邁進せしめたのである。さらに、彼は台湾の現代版画運動を効率的に推進するために、学生達と「十青版画学会」を組織し定期的に現代版画の展覧会を開催し、また、文化建設委員会と相談して「中華民国国際版画ビエンナーレ」などを開催し、台湾の現代版画を国際的に広めていった。
当然のことながら新たな美術運動を推進する者として、本人の芸術的造詣が深く、まず学生達の尊敬を集めて後、彼らは虚心に先生に師事して学習することを願うのである。実際、廖修平が帰国して現代版画を教える以前から、彼はよく知られた現代版画家であり、その東洋的な情趣にあふれた「記号シリーズ版画」はたびたび国内外で受賞を重ねていた。故に彼が現代版画を推進することは最もふさわしかったといえよう。
一、「門の記号シリーズ」創作の契機
「門の記号シリーズ」版画は廖修平が独自の東洋的境地の芸術を樹立した時期の作品である。彼の独自の東洋的境地を探求するにあたっては、人々にとって非常に興味深い話がある。
1960年代後期、パリに留学していた頃、彼はフランスの春季サロン展で油画作品《パリ旧牆(巴黎舊牆)》により銀賞を獲得した。しかし、作品は優れていたものの、西洋的な感覚から抜け切れず独自のスタイルは乏しかった。この時、パリ美術学院の油画の教授シャステル(Roger Chastel)が彼を目覚めさせたのであった。「東洋から来た芸術家は自ずと独自の個性と東洋的なスタイルを持つべきである。」この言葉は、非常に有意義な警告であり、彼を覚醒させ自らの生長した文化に創作の養分を求めさせることとなった。中国の青銅器や陶磁器の文様、少年時代に遊んだ台北の龍山寺の装飾や神仏の像、台湾の紅・黒・金などの民間の色彩、台湾民間版画の造形記号などが彼の芸術の栄養素となり。吸収、構成、解釈を重ねることから創造にたどり着き、最終的に独自の「廟飾シリーズ」の東洋的芸術様式を樹立したのであった。
1968年末、廖修平は米国に渡り、ニューヨークのプラット版画センターに入り様々な版画技法を習得した。彼は一版多色、凹凸兼用の銅版画技法から、金属或いは非金属材料による排版法まで修め、単一或いは混合技法に関わりない自由な創作の境地に達した。ニューヨークに移って からの廖修平は、「門の記号シリーズ」という新たな主題を作り出した。「門を通ることで我々は世の中に入り、この世界で生活し認識するために幾つもの門を開かなくてはならない。・・・・」。こうした人生の旅路の哲理の隠喩は「門の記号シリーズ」を通して、観る者にその意味が展開されるのである。
「門の記号シリーズ」は対称的構成と一つの象徴的意味を持った記号の中に、人生の旅路を探し求め、人と宇宙の相互関係を思索し、止まることのない陰陽の循環と調和を維持する精神を探求している。試しに見てみると、安定した対称的構成の中に、中央に太陽或いは陰陽循環の象徴的記号を配置し、その周囲の格子に衣服や靴・はさみ・傘・櫛・籐籠などの生活用品、家の門や窓、男女の記号を描き、これらは皆生活の様々な様式を象徴し、更には人と宇宙との関係を啓示し、それぞれを深く省みて想像力をかきたてるものがある。
英国の美学者ロジャー・フライ(Roger Fry, 1860-1934)は、人間には現実生活の情感、想像生活の情感の二つの情感があるという。自然再現の芸術は我々に現実生活の情感を提供するだけであるが、現実(写実)を超越した芸術は想像生活の情感を誘発してくれる。筆者は、芸術の最高の境地は人間に物理的世界で捜し求められない想像生活の情感を提供するものであり、象徴的視覚記号は形而上の人生哲学と宗教的境地を啓発するものと考える。こうした芸術的観点から廖修平の「門の記号シリーズ」を評価するならば、それはまさにこうした芸術的境地と目的に合致しているといえよう。
二、その後の「符号シリーズ」版画の展開
廖修平はその独特の東洋的美術の様式を樹立して以後も、そこに閉じこもらなかった。彼は常に自己を突破し、自己を超越し、50年近い芸術上の歩みの中で新たなものを作り続けてきた。彼は一つの表現形式にこだわることなく、人生の旅途と生活環境の変化の中で、芸術上の主題と表現する視覚記号は常に変化し、以下のような「記号シリーズ」版画のそれぞれの時期を展開していった。
《木頭人礼賛》:1983年に欧州でマネキン人形を購入して帰国してからの4年近くの間制作したのが《木頭人礼賛》の作品である。 作品上の金属工具、ドライバー・ペンチ・はさみなどは機械文明と工業化社会を表す。木の箱は社会的秩序と悠久の伝統を象徴している。そして言葉を発しない木頭人(機械文明の下で個性を喪失した現代人を象徴)は様々な反応を見せる。《園中雅集》:作品には様々な形状、材質の酒瓶が並んでいる。こうした形状も味も異なる酒瓶は、大都会ニューヨークの文化的に様々な民族の文化が輻輳している実体を象徴すると同時に、世界の多元的な文化の平和的共存を反映している。
《結》と《黙象》:「門」・「陰陽」・「茶具」・「酒瓶」などの記号はこれまでの生活遍歴を象徴したものであった。 この画面上の黒い枠は以前の華やかな生活に対する内省であり、固く結ばれた縄は積極的に内在する世界の心境を探索する考えを示している。
《生活記号》:作品に描かれる建物・衣服・履物・はさみ・扇子・櫛・物差・箸などの生活用品の造形記号は、作品を構成する中心であり、我々の日常生活の種種の様相を暗示している。色彩の面では、台湾の民間で伝統的にめでたい色彩とされる赤、白、金、銀、黒などの色彩が用いられ、喜ばしい気持ちがあふれている。こうしためでたい《生活記号》シリーズの作品は家庭に「鎮宅」・「喜慶」・「招祥納福」などの幸福の境地をもたらすもので、現代版の「福神」・「財神」と同じで、人々に平安と幸福感を与え宗教的な情感をもたらしてくれる。
「記号」は人間が創造したもので、心境を表わしたり、物事を示すものである。ただし、人間から離れたとたんに独立した存在となり、情感や境地を伝達するだけでなく、それ自身が体系を作り上げ独自に発展していく。廖修平の上述の「符号シリーズ」の版画は、象徴的な意味が非常に豊かで、鑑賞者それぞれに様々な思いと解釈をもたらすのである!
三、非情の《夢境シリーズ》、風格の変遷
芸術家の人格心理学に照らせば、恵まれた境遇の人は、 彼の眼に映る人や事物などは喜び、親しみ、幸福感に満ちているように見える。こうした平安を肯定する「生の自覚」は芸術家に調和、幸福、満足の作品を作り出させる。ドガ(Edgar Degas, 1834-1917)やマティス(Henri Matisse, 1869-1954)の楽しい作品からはこうした芸術の類型が見て取れる。反対に、志を得なかったり境遇に恵まれなかった芸術家にとっては、彼の眼に映る人や事物などは孤独や悲しみを増幅させるように見え、こうしたマイナスの感情の「生の自覚」は芸術家に憂鬱で哀傷的で悲しい作品を作らせる。例えばモディリアニ(Amedeo Modigliani, 1884-1920)やスーティン (Chaim Soutine, 1894-1943)の悲しげな作品がそれである。
台湾の芸術家について言うと、廖修平は名門の建築家の家に生まれ、当時の背景や環境は人に羨まれるものであった。但し彼は常に真情と善意をもって創作に努め、絵画の世界で楽しみ、国際画壇で高評と栄誉を得た。彼の芸術的道のりは順調に展開していったが、人生とは無常なものである。2002年、40数年連れ添ってきた愛妻が急逝する。彼は突然に最も堅固な支持基盤を失った。名利は彼にとって雲の如く軽く水のように淡いものであった。この不幸な出来事が彼に人生は限りあるもの、無常にして些末なものと強く感じさせた。悲情の《手夢》のシリーズが彼の創作の主題となった。
《夢境》シリーズの作品は従来の謹直で理性的で構図の調和と精確さを追求したものと異なり、多くの不確定性と任意性に満ちている。従来の穏やかで典雅な芸術表現は《夢境》シリーズの中で解き放たれ、往年の秩序は少なくなっている。
大地から伸びるたくさんの手は死者の哀怨、悲しみ、救いを求め、もがき訴えるなどの悲凄の心境を表している。一方で廖修平はこの系列の作品を制作し、逃れがたい「夢魔」を作品上に描きつくすことで、心の慰みを得、 良心の自責を減じようとしており、一種の芸術治療として心理を安定させ、自己を救う治療効果があった。更に、「夢境」系列は陰陽の二元的世界を示し、彼と亡妻の二つに分かれた世界を象徴し、愛妻との共に暮らした40年以上に及ぶ恩愛の感情を表す。それは永遠に戻らないものであって、 ただ黙って天に問いかけるしかないことであろう。
結語
精神分析学者のユング(Carl Gustav Jung, 1875-1961)はそれぞれの人が深層心理において祖先及び人類共有の集合的無意識を共有ししているとし、それを「原型」(archetype)と呼んだ。出生アーキタイプ、再生アーキタイプ、死亡アーキタイプ、求福アーキタイプ、巫術アーキタイプ、英雄アーキタイプ、上帝アーキタイプ、魔鬼アーキタイプから多くの自然物、人造物のアーキタイプがある。芸術家の使命はこうした人類が普遍的にもつ「アーキタイプ」を自らの視覚表現により表わすことであり、これによってその芸術は強い影響力と普遍性を持つにいたる。廖修平の 40年以上の芸術創作を回顧するならば、その各種の「記号」作品は再生原型と求福原型を意味するものであり、彼は「門の記号」・「生活記号」などの視覚的表現により表現している。反対に「夢境系列」作品は「死亡原型」の傾向が強く、人に人生とは無常であり限りがあることを深く感じさせる。
(翻訳:蔡美玲)
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