來源:奈良文化財研究所編,《奈良の寺一世界遺産を歩く》,岩波書店,2003。
7.斑鳩三塔
飛鳥と奈良をつなぐ
法隆寺裏手の道をゆっくりと登っていくと、やがて三つの塔が一望できる地点に立つことができます。法隆寺五重塔、法起寺三重塔、そして一九四四(昭和一九)年に焼失した後再建(後述)された法輪寺三重塔です。この「斑鳩三塔」は、いわゆる飛鳥様式という最古の建築様式を纏っています。飛鳥様式は、雲形の組物に代表されるよ うに、細部の意匠が奈良時代以降の建築と大きく異なっており、孤高の様式として認識されてきました。しかし近年の研究ではむしろ、それらが奈良時代の建築と関連を持っていることが 明らかにされつつあります。
斑鳩三塔の様式は、軒を支える組物の意匠のほか、その配置にも特徴があります。2節で組物と柱の関係から、法隆寺金堂が七世紀中頃の山田寺金堂よりも一歩進んだ改良が施された構造形式を持つことが判明したと述べましたが、それにともなって斑鳩三塔も新しい形式を持ったものとして理解されるようになってきたのです。
では、斑鳩三塔はいつ建てられたのでしょうか。この三塔は、様式、構造技法ともに酷似していますが、わずかながら差異があり、建設時期の相対的な前後関係が想定できます。平面寸法は法起寺三重塔の各層は法隆寺五重塔の初層、第三層、第五層と同寸ですが、法輪寺塔はそれよりわずかに小さくなっています。心礎は法隆寺、法輪寺では基壇中に埋められていますが、法起寺では基壇上に据えられています。雲斗、雲肘木の曲線は法隆寺と法輪寺が似通い、法起寺は簡略化されています。こうした特徴から、法隆寺と法輪寺はほぼ同時に建てられ、法起寺は遅れて法隆寺を模して造られたものと考えられるのです。法起寺塔は露盤銘によって慶雲三(七〇六)年に完成したことが知られるので、法隆寺と法輪寺の塔は、六七〇年の法隆寺焼失後まもなく法隆寺金堂が建設されたのに引き続いて再建されたものであろう、というのが現在の一般的な説です。
最古の様式を持つといわれるこれらの塔は、実際には奈良時代直前の白鳳期に建てられていたわけです。けれども、白鳳様式をもつといわれる薬師寺東塔とは、様式的に断絶があるので、古くからの様式が国内での発展を遂げつつ、斑鳩の一地方様式となって最後の華を咲かせたものと理解されています。しかし、様式という衣を取り去ったとき、斑鳩三塔は、薬師寺東塔と意外に近い姿を見せてくれます。
様式的特徴に注目が集まりがちな組物の本来の用途は、軒を身舎の外側へ持ち送ることにあります。斑鳩三塔と薬師寺東塔はいずれも身舎の柱の上に通肘木を三から四段、井桁状に組んで軸部を固め、その通肘木の下ないし間に軒荷重を負担する力肘木と尾垂木を組み込んでおり、両者の構造システムは驚くほど似通っています。つまり、斑鳩三塔は、飛鳥時代建築と奈良時代建築との間をつなぐ、最古にして最新の建築だったわけです。
今後、種々の部材の年輪年代が測定されることになれば、また飛鳥様式を巡って新たな解釈を加えることができるようになるのかもしれません。
法輪寺の古材
そういう部材が斑鳩の三塔のうち、法輪寺で見つかりました。三重塔は一九四四(昭和一九)年に、不幸にも落雷によって灰塵に帰し、現在の塔は、作家の幸田文氏らの協力を得て一九七五(昭和五〇)年に再建されたものです。
法輪寺は、本尊の薬師如来坐像(木造、重文)が有名です。もとは金堂にあったといわれ、現在は三重塔の北、旧講堂の位置に建つ収蔵庫に安置されています。本体はクスノキ、台座はヒノキ。製作年代は、七世紀後半の白鳳期説が有力だということです。
二〇〇二年三月、本尊台座の年輪年代法による調査を依頼するため訪れたとき偶然に、焼失した三重塔の古材が花台として使われていることがわかりました。部材としては法隆寺金堂・五重塔と同じ皿斗付大斗(皿斗は柱上端の皿形の斗)です。材はヒノキ。年輪は肉眼では数え切れないほど密度の高いものです。年代測定の結果、最も外側の年輪の年代が五三一年と判明しました。その後、さらに焼け残った雲肘木が四丁分保存されていることもわかりました。すでに灰になったと思われていたものでした。
これらは初重の隅行雲肘木一丁と、初重の平雲肘木三丁です。これが判明したのは明治時代の保存図のおかげです。明治三五─三六年に塔の解体修理が行われた時の図面が奈良県教育委員会に保存されていて、大いに役立ったのです。部材を調査した時の野帳もあるということですが、これによって、法輪寺三重塔の細部の仕様や寸法を知ることができました。真っ黒に焼けた部材でしたが、大切に保管されたおかげで保存図と照合でき、奈文研の調査によって貴重な情報も数多く得られたのです。
年輪年代法の調査によって、このうち三丁の部材の最も外側の年輪の年代は、それぞれ四五八年、五二四年、五二七年と確定できました。いずれの部材も火災によって炭化し、外周部がやせて伐採年代の確定は不可能でした。創建年代の手懸かりを得られなかったことは残念ですが、年代測定の結果からみて、いずれも創建当初の部材であることは明らかです。なお法輪寺の創建については、「御井寺縁起」に伝える六〇二(推古三〇)年説、六七〇(天智九)年以後に建て始めたという説があります。
さて、肝心の薬師如来坐像の台座ですが、彩色の落部分のうち木材の外周に近い部分を計測した結果、年輪の年代は六三九年でした。像の制作が伐採からあまり間をおかないとすると、六五〇年頃の可能性もでてきます。これは法輪寺建立年代の説では七世紀前半説に一致し、現在有力な七世紀後半説に矛盾します。もっとも塔の建立は七世紀後半であるが、金堂など一部は七世紀中頃まで遡るとする説もあるようですので、今後の研究の進展に期待したいところです。
(清水重敦・光谷拓実)

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