來源:奈良文化財研究所編,《奈良の寺一世界遺産を歩く》,岩波書店,2003。
3.五重塔の心柱
年輪年代法の成果
奈良文化財研究所が、同研究所の光谷拓実の研究に基づいて、法隆寺五重塔の心柱の伐採を五九四年と発表したのは、二〇〇一年二月のこと。年輪年代法の最新の成果です。同じ樹種の木は、広い地域で年輪幅の変化の仕方が共通していることに着目して古建築の部材や遺跡の出土材の年輪幅を測り、現代からさかのぼって暦年の年輪標準パターンをつくって、年代不明の部材の年輪パターンをこれと照合し、伐採年を出す。これが年輪年代法です。欧米で広く使われ、日本では奈文研が実用化した、誤差を伴わないもっとも優れた自然科学的な年代測定法です。
五九四年に伐採してすぐに塔を建てたとすると、五重塔の建設は六世紀末になります。法隆寺は聖徳太子の斑鳩寺であるとする非再建説と、六七〇年の火災の後の建立とする再建説の長い論争があったことは前に述べましたが、論争に決着をつけたのは、若草伽藍の発掘のほか、金堂・五重塔の解体修理、防災工事に伴う発掘です。大規模な造成工事によって西院伽藍が完成したのは七世紀後半と判明し、非再建説はほぼ否定されたのでした。
「五九四年伐採」の新データはこれより七〇─八〇年も古い年代ですから、大騒ぎになりました。学者の反応は「移建説」と「貯木説」にわかれました。移建説は飛鳥時代の法興寺(飛鳥寺)の塔か、若草伽藍の塔を移したと考えます。後者の場合、若草伽藍は六七〇年の火災に遭ったが、塔は焼け残ったと仮定しています(「若草説」)。貯木説は将来の建設に備えて事前に伐採したと考えるものです。仏教を広めようとする推古天皇の有名な「三宝興隆の詔」が、同じ五九四(推古二)年に出されたことがヒントでしょうか。
それぞれに問題があります。まず、飛鳥寺の移建説は成立しません。記録では、飛鳥寺の塔に仏舎利を納めたのは心柱伐採前年の五九三年で、年代が合いません。若草説は、法隆寺五重塔の心柱の太さが八〇センチなのに、若草の塔の柱は推定七〇センチで、太さが違います。太さでは、むしろ名前が上がらなかった中宮寺の塔跡が合います。貯木説も、百年後どころか、五〇年先も闇といった現代の状況からみてもやや無理と思います。
「五重塔の謎」に迫る
五重塔にはこれまでも謎がありました。心柱の礎石(心礎)が地下に据えられていて、これは六世紀末─七世紀前半のやり方なのに、仏像や屋根瓦の年代は七世紀後半以後である、という謎です。
地下式の心礎を重視すると、「五九四年伐採」は矛盾しません。このころ五重塔の建設が始まったと考えると、古い軒瓦が見つかっていないのが不都合ですが、初めは板葺だったと考えるのも一案でしょう。五重塔は建設中、扉などがなく、かなりの期間外気にさらされたままだったという解体修理時の所見とも矛盾しません。
でも、この考えにも障害があります。このころは金堂、塔の順で建設します。すると、金堂と塔が東西に並ぶ法隆寺式配置がいつ成立したのかが問題です。巨大伽藍として話題になった桜井市の吉備池廃寺が同じ配置ですが、ここが「日本書紀」に登場する百済大寺だとすると、六三九(舒明一一)年には成立していることになります。法隆寺の五重塔の建設をこのころに下らせても矛盾がないかどうか......。
一番の問題は、七世紀後半に西院伽藍が完成するとして、それ以前に塔、金堂を建てることができたか否かです。「五重塔の謎」に迫る新法隆寺論争の幕が開いたのです。
(金子裕之)
4.五重塔の耐震性
衝撃を逃がす仕組み
古塔に接する時、人々はその長い歴史を思い、郷愁を感じます。中でも法隆寺五重塔は最古の木塔です。木塔は地震や台風、とくに地震に対しては驚異的な強さを発揮します。だからこそ、千年を経てもその美しい姿を保っているのです。
高田良信・法隆寺長老が諸文献を調べて作った法隆寺災害年表によると、一〇五〇年から販神・淡路大震災の一九九五年までに、建物の損壊など法隆寺が地震の被害を受けたことは一一回あります。このうち、一〇〇─一五〇年周期で起きる巨大地震では、一三六一年、一七〇七年、一八五四年の南海地震で被害を受けました。だが、五重塔が倒れたことはありません。
五重塔が大地震でも倒壊しなかったのは、自らゆっくりと揺れながら、柳に風のごとく地震波の衝撃を逃がす仕組みとなっているからです。地震がきたとき、建物はひとつの揺れ方だけでなく、いろいろな揺れ方が入り交じった状態で揺れます。国宝の建物を実際に揺らして確かめることはできません。でも、建物はごく小さな地面の揺れを拾って、数マイクロメートルという小さな単位でいつも振動しています。この常時微動を測定することで、揺れる形(振動モード)がわかり、一回揺れるのに何秒かかるかという固有周期を求めることができます。
超高層ビルのモデルに
地震の揺れ方は三つの成分に分けられます。一番ゆっくり揺れるのが1次モードで、言葉で表せば「ユラユラ」です。次の2次モードは「ユッサユッサ」、次の3次モードは「カタカタ」です。揺れが最も強いのは普通は1次モードです。測定の結果、法隆寺五重塔は1次モードの固有周期が一・一一秒で、各層が同じ方向に揺れます。2次、3次モードは〇・四秒、〇・二秒で、弓形にしなる動きをしていました。これらの揺れが一緒に伝わって、塔を複雑に揺り動かします。これに対して、地盤の揺れを直接受ける基壇(土台)は一回揺れる速さが〇・二秒から〇・五秒です。つまり、塔と基壇は揺れる速さが大きく異なっていることがわかります。地震の際の地面の揺れ方と、塔本体の固有の揺れ方がうまく合わずにずれができているのです。これはブランコに乗って、こごうとして上手にこげない状態に似ています。共振が起こらず、揺れ幅が一定以上大きくならないのです。ここに五重塔の耐震性の秘密を見ることができます。
一方、高さ一〇〇メートル以上の現代の超高層ビルは、木塔よりさらに固有周期が長く、数秒に一回揺れるだけ。いわば「ユーラユーラ」です。高層ビルも木塔も、地盤との固有周期の差で有害な揺れを緩和している点は同じなのです。
実は、超高層建築は一九二三(大正一二)年の関東大震災を「柳に風」と受け流した谷中の五重塔の耐震性がヒントになったのでした。「剛にして揺れない」建築がよいと考えられてきたのが、大震災後は、建物の揺れを肯定する「柔構造」の考え方に変わっていったのです。耐震性の高い五重塔の構造の仕組みや様々な工夫は、超高層建築として現代の私たちに恩恵を与えてくれています。

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