五
擧の墓石の「源應擧墓」の四字は、妙法院宮眞仁法親王の御揮毫になつた。宮は光格天皇の御兄君であらせられ、文藝の趣味に富ませられた。その歌人小澤蘆庵を優遇し給うたことは、南天莊墨寶解説の中に精しく述べられてゐる。本間游清の随筆耳敏川に據れば蘆庵の墓石もまた宮の揮毫し給ふところであった。文化二年、御歲未だ三十八にして薨じ給うた。その應擧との御交渉は、まだ知らるるに及ばなかったが、妙法院所藏の宮の御日記天明七年元日より八月十六日に至る一冊の寫が史料編纂所にあるのによつて、天明七年頃、宮と應擧との交渉のかなり頻繁だったことが知られる。尤も編纂所本は、妙法院に託して謄寫したもので、不明の字を不明のまゝに書いてゐる箇所が多くて、かなり讀み取り難いが、辛うじて判讀して、その條々を左に擧げて行つて見る。天明七年には、宮は御年二十歲にましました。應擧はこの年五十四歲である。
正月十五日
畫頃圓山應擧入來(忰右近も來ル)。席畫有り。横物、秋海棠みそさゞい。竪物、琴高乘鯉、同栗ニ啄木、ソテツ。紙竪物(梅ニ鷺、右近山水、同)横物、(玉、右近)横物(鶯、龜、松茸、鉢)〔以下數字不明〕。知足、宗仙見物相願、應擧盃、右近令祝。
右近はすなはち後の瑞、時に二十二歲である。
同二十八日
丸山應擧、此間外より賴來ル繪ノ手本申附ル也。梅、竹、若松、東坡、雀何れ〔も?〕墨繪也。承候よし也。
二月朔日
圓山主水より、此間申付ル手本八枚もたせ來ル。則眸烏拜借之珍鳥之巻物一卷入一覽也。
同三日
丸山右近へ名印明日上タキ申也。
同七日
丸山右近來ル。此間卷物返却也。
同八日
圓山主水へ先頃申付ル繪、廿日頃迄に可調進よし也。
同二十七日
明後日頃應擧可來よし也。 今日、此間申附ル應擧かけ物三幅調進也。(秋海棠ニみそさゞひ、栗ニ啄木鳥、琴高乘鯉之圖
廿八日〔二十八日は前にある。二十九日の誤であらう〕
八ツ比圓山應擧來ル。新殿之圖拜見也(近日圖□可窺よし也)席畫あり。一枚唐紙。(鷲、海邊景、ツル二枚、 福祿壽一、半切フヂ、 梅二、鳩、雞二枚)□物、青物三□、達磨、戌刻退去也。(鷲、ツル、福祿壽、達磨、右印申付候。□返ル也)
三月七日
今日丸山主水願ニよつて、小澤蘆庵庭拝見いたし度よし也。雖然今朝蘆庵少少依所勞斷也。
この條によつて、應擧と蘆庵とが相識だったことが知られる。蘆庵は應擧によつて、妙法院の庭の拜見を願ってゐる。して見ると、この頃には蘆庵は未だ宮の知遇を得てゐなかったのである。
同二十五日
圓山主水へ清書五枚遣。取次八景取持せ遣。(傍註。此方ノ了管書付遺ス)
同二十六日
圓山主水より繪之直シ并ニ八景の畫の書付來ル。(此方了管通由也。)則禁中へ持セ遣。石見、□□,猶主水帖は□拜借いたしたき由也。南涯へ御用石印四顆申付ル。圓山主水方へ契沖著述之書餘材鈔、勢語臆斷等一覽致度旨、蘆庵方へ通達可有之旨申遣。
四月三日
丸山應擧、一昨日之畫名印申付ル。
同四日
昨烏申遣ス四季之繪(夏雲又々書なほしたき由也。名印出來、後應擧來ル。)......此間應擧へ申ス蘆庵方ノ本來ル。......此間應擧へ遣唐紙□□故、又々唐紙五枚拜領いたしたき由也。則遣畢。
同六日
丸山主水、同右近へ、明日一言寺参詣之□申付ル。
同七日
圓山主水來ル。知立來ル。宗仙來ル。午刻出門、步行也。一言寺参詣......。四ツ比藤〔?〕島石見來ル。福祿畫(應擧)一枚、大炊御門カ、御花山院カニ□賴べきよし申入畢。
同九日
從應擧、本法寺什物之舜擧(張嘯)貝盡等、いづれも散々物也。以右近入一覽也。 且箏之禮申上ル。
五月二日
丸山應擧、□知足來ル(杜子美醉步之圖、宗達之松ニ鳩)鑑定ニ遣。從應擧、宗達之寒山入一覽也。
同九日
丸山應擧より小襖六枚來ル。栗柿二ッ文鳥(四枚)
同十三日
丸山主水よりから紙四枚、杉戸一枚來ル。
同十七日
圓山右近此間之禮ニ來ル(尤主水可來筈ニ候へとも無據畫圖ニ依斷
六月十三日
丸山右近來ル。暑中〔見舞〕也。先日噂の樂〔燒〕茶碗、主水下畫(赤黑朱)惠投、折節稽古中故無對面。
宮はこれより先岡本甲斐守敦直に入門して書道を學ばれてゐた。この日も敦直が稽古に来てゐたのである。
同十五日
圓山主水來ル。新殿間の繪書也。冬家〔?〕也。
同十六日
圓山主水來ル。同右近同道。〔分註不明〕間之繪出來。
同十八日
□衣むしはらひ拜見、 若冲弟子兩人、主人方より拝見人七人計願也。令□畢。并庭拜見。有計入祝儀として、從主水右近ルリノ壺一惠投。
同二十五日
有計入祀儀也。於宸殿、狂言には家來分一統、圓山父子、□□□、石見、近野等來ル。いづれも見物也。
同二十六日
右近對面。
七月十二日
入夜丸山主水來ル。先達而の畫三一〔?〕枚持參也。且祝儀新殿間□□遣禮として也。
同十七日
圓山主水へ內にて入御覽繪卷物有之、委可見旨申聞候儀申也。
同二十日
圓山右近來ル。輪門より賴の畫申付ル。十三枚、里扇、色□扇面等也。をし繪、從主水古畫寫入一覽也。
同二十三日
□□へ文遣。此間從應擧入一覽書物畫等、若哉可被入御覧哉と持せ遣也。
同二十七日
閑院殿より內々此節主水御機嫌うかゞひとして、何成とも御なぐさみに相成所可獻よし申來。
同二十八日
昨日之趣ニ付、扇面(應舉五、右近五、則苗〔?〕五申付也。尤明朝迄可調進よし也。
同二十九日
此節御機嫌うかゞひとして、扇面(十五枚)長はし迄文にて奉。其御滿足のよし、敕答アリ。
應擧等の畫が、この時にも天覽に入ったのである。
眞仁法親王の天明七年の御日記に見えたる應擧關係の記事は以上の如くであるが、仄聞するところによれば、妙法院には、宮の御日記はなほ多量の所藏せられてゐるといふ。それらが公にせられたら、文藝史料のその内から獲らるゝものが尠からぬであらう。私はその世に出づる日を俟ちたい。右天明七年の御日記にも、應擧以外の文人畫家達のことも散見してゐるが、それらは摘出しなかつた。

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