目前分類:der Kunstgeschichte (94)

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南山5窟3


(南山5號窟,三清大帝像)

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大足石刻03


(寶頂山大佛灣3號龕,六道輪迴圖)

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北山佛灣130窟.jpg


(北山佛灣130號龕,摩利支天)

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大足石刻01

(圖片來源)

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原文連結



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Antonia Blumberg,2014年6月24日,The Huffington Post (原文連結)

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ISSN 10131663

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金維諾

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燦若繁星的北魏墓誌書法

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華人德

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林泗水,1972年版

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御製詩初集卷之二

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御製詩初集卷之一

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顧愷之

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楊泓

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日本の場合は、元代から明代中期(一二七一-一五二一)まで、元代李郭派・明代南宋院体山水画風という二つの東アジア国際様式は行われた、二百五十年の中国山水画史の展開を踏まえつつ、ほぼ同時期の日本の鎌倉後期・南北朝・室町中期までの山水画史を概観することは、極めて困難である。鎌倉時代(一一九二-一三三三)や南北朝時代(一三三一-一三九一)、南北朝時代と重なう室町時代(一三三八-一五七三)初期には、絵卷などの画中画により、数多の大画面障屏山水画が制作されていたことが知られるものの(「図版 画中画:障子絵、壁貼付絵、腰貼付絵、杉戸・戸障子絵、屏風絵、衝立絵」、武田恒夫「中世障壁画とその画中画」『中世障壁画』京都国立博物館、一九六九年)、山水画それ自体として評価するに足る作例は、「山水屏風」(神護寺)など二、三の例外を除いて、現存しない。「山水屏風」それ自体も、元代李郭派・明代南宋院体山水画風とは何ら関わりのない、むしろ唐代の着色山水画に連なる古様な作例であり、いま本稿で言及すべき対象ではない。ただ、その中期には、鎌倉時代や南北朝時代、及び南北朝時代と重なる室町時代初期等とは異なり、山水画それ自体として評価するに足る作例が現存する。周文の伝称のある「四季山水図屏風(六曲一双)」(東京国立博物館)は、その伝称を有する数点の屏風のうちでも、南宋院体山水画の構図である「辺角の景」に最も忠実な作品であり、その皴法である斧劈皴は、僅かに前景の岩石の表現に用いるのみであるとはいえ、「辺角の景」で左右対称な絵画空間を構成するのは、画面の大小の相異はあれ、「四時八景図冊」に通じる。また、「竹斎読書図」(東京国立博物館)も、周文の伝称のある数点の詩画軸のうちでも、「辺角の景」をなし、最前景の岩石に斧劈皴が認められるから、両伝称作品が周文その人のものであるか否か別として、明代南宋院体山水画風を受容する作家と作品が、雪舟とその作品に先んじて存在していたことは疑いない。

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Marine monsters on the sarcophagus of Shi’s tomb

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朝鮮王朝(一三九二-一九一〇)の場合は、李郭派山水画として最も高い水準の作品の一つであり、世界絵画史の水準に照らしても何ら遜色のない、山水画の傑作が現存する。改めて言うまでもなく、朝鮮王朝前期の安堅「夢遊桃源図卷」(一四四七年)(挿図17・天理大学附属天理図書館)(「本文 67 安堅 夢遊桃源図卷」前掲、『臥遊』)がそれであり、上述のような高麗時代からの李郭派山水画の受容を基盤に、元代李郭派山水画では行い得なかった、相異なる伝統を折衷して斬新な山水表現を現実のものとする傑作である。すなわち、本図は、桃花・桃葉には臙脂・白緑を点じ、遠山には藍を用いており、花木を含む唐代着色山水画や、水墨着彩の南宋院体の手法も拒否してはいない。前後の山容を衝立のように並べる、元・唐棣「倣郭熙秋山行旅図」(挿図2・台北故宮博物院)(「本文 47 唐棣 倣郭熙秋山行旅図」、前掲『臥遊』)のような平面性を有する一方、山容相互には濃淡をつけて前後関係を確定しつつ、雲煙に隠見する前半の桃林や、大気に消えてゆく後半の渓谷の描写においては、北宋・郭熙「早春図」(挿図14)のそれにまで回帰して、大気や光線の再現的表現を追求する、中国山水画を超える徹底した折衷性が認められる。それに呼応して、卷頭の桃源洞内では、画面四分の三の高さに基本視点を置く、元代李郭派や高麗時代の山水画の手法に従いながら、卷後半の洞口から卷尾の洞外では、画面八分の三の高さに下げており、画面半ばの高さに基本視点のある郭熙「早春図」などのそれによるからである。

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すなわち、これまでの簡略な考察による、元代から明代中期(一二七一-一五二一)まで、元代李郭派・明代南宋院体山水画風という二つの東アジア国際様式が行われた、二百五十年の中国山水画史の展開を踏まえつつ、ほぼ同時期の日本の鎌倉後期・南北朝・室町中期までの山水画史、韓国の高麗後期から朝鮮王朝前期までの山水画史の展開を各々数点の伝存作品に即して改めて概観し直してみよう。

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趙孟頫 鵲華秋色圖


(挿図4)

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