朝鮮王朝(一三九二-一九一〇)の場合は、李郭派山水画として最も高い水準の作品の一つであり、世界絵画史の水準に照らしても何ら遜色のない、山水画の傑作が現存する。改めて言うまでもなく、朝鮮王朝前期の安堅「夢遊桃源図卷」(一四四七年)(挿図17・天理大学附属天理図書館)(「本文 67 安堅 夢遊桃源図卷」前掲、『臥遊』)がそれであり、上述のような高麗時代からの李郭派山水画の受容を基盤に、元代李郭派山水画では行い得なかった、相異なる伝統を折衷して斬新な山水表現を現実のものとする傑作である。すなわち、本図は、桃花・桃葉には臙脂・白緑を点じ、遠山には藍を用いており、花木を含む唐代着色山水画や、水墨着彩の南宋院体の手法も拒否してはいない。前後の山容を衝立のように並べる、元・唐棣「倣郭熙秋山行旅図」(挿図2・台北故宮博物院)(「本文 47 唐棣 倣郭熙秋山行旅図」、前掲『臥遊』)のような平面性を有する一方、山容相互には濃淡をつけて前後関係を確定しつつ、雲煙に隠見する前半の桃林や、大気に消えてゆく後半の渓谷の描写においては、北宋・郭熙「早春図」(挿図14)のそれにまで回帰して、大気や光線の再現的表現を追求する、中国山水画を超える徹底した折衷性が認められる。それに呼応して、卷頭の桃源洞内では、画面四分の三の高さに基本視点を置く、元代李郭派や高麗時代の山水画の手法に従いながら、卷後半の洞口から卷尾の洞外では、画面八分の三の高さに下げており、画面半ばの高さに基本視点のある郭熙「早春図」などのそれによるからである。

安堅 夢遊桃源圖
(挿図17)

本画卷は、中国の画院画家に当たる朝鮮王朝の図画署画員の任にあった安堅が、詩文に長じ、趙孟頫風の書もよくする安平大君の命により、その夢を僅か三日にして絵画化し、大君自身とその近臣ら詩文を唱和する画卷である。安堅の画と大君の記、後に大君を裏切る申叔舟らの詩文を連ねる本卷に止まらず、大君に忠節を尽くす朴彭年らの詩文を集める別卷との二卷からなる大作であり、君臣という上下関係のもとで制作された作品ではあるものの、基本的に対等な知己どうしによる文人雅会という制作環境が、南宋から元時代に当たる時期から、東アジア全域において普遍化してゆく中で創造された数多の作例のうちで、最も重要なものの一つである(「本文 67 安堅 夢遊桃源図卷」、前掲『臥遊』)。

安堅の作品は、「夢遊桃源図卷」の制作を命じた安平大君の所蔵作品のみでも、三十点に上り(申叔舟「画記」『保閑斎集』卷十四)、当然のことながら、数多あったと考えられるものの、その現存伝称作品は、他に「四時八景図冊」(韓国国立中央博物館)など、数点に止まり、「夢遊桃源図卷」の卓越した山水表現の水準に比べれば、いずれも安堅その人の作品とは認め難い。ただ、「四時八景図冊」は、初春・晩春から初冬・晩冬の四季の初季と晩季とを画く分けつつ、初季・晩季の二幅のいずれも、初季の方が向かって右下に、晚季の方が左下に前景を配する左右対称な「辺角の景」をなしており、筆墨法は、元代李郭派、構図法は、孫君沢「楼閣山水図(対幅)」(挿図18 静嘉堂文庫美術館)のような、元代の前浙派に属する作品の手法を受容するものと考えられ、元代李郭派・明代南宋院体山水画風という二つの東アジア国際様式に則ることが知られる点で、重要な作例である。また、本稿の対象とする時代からはやや下るものの、同断の独幅には、梁彭孫(一四八八-一五四六)「山水図」(韓国国立中央博物館)があり、「四時八景図冊」の「晩春図冊頁」の構図に基づかつつ、前中後景の分節を行う遙かに完成度の高い作品となっている。(安輝濬〔藤本幸夫・吉田宏志訳〕『韓国絵画史』東京:吉川弘文館、一九八七年)。

朝鮮王朝の瀟湘八景図の特徴、現存作例のすべてが、元代李郭派に連なる筆墨法を採ることにある。「四時八景図」とほぼ同時期の作例とされ、最古の完好な瀟湘八景の作例である「瀟湘八景図(八幅)」は、「四時八景図」と同様、筆墨法は、元代李郭派に、構図法は、元代前浙派に倣う。また、画と賛には百年以上の隔たりがあるものの、欠名「金玄成賛 瀟湘八景図屏風(八曲一隻)」(賛:一五八四年)(挿図19・文化庁)や、欠名「瀟湘八景図屏風(八曲一隻)」(大願寺)も、筆墨法を元代李郭派に倣う作例であり、米法山水図に連なる南宋・牧谿「漁村夕照図(瀟湘八景之内)」(根津美術館)とは異なり、結果的に北宋時代の李成派の文人画家宋迪が創始した瀟湘八景図の原型に回帰するものとなっている。

元代李郭派が、日本には影響を及ぼさなかったのに対して、元代前浙派から引き継がれる明代南宋院体山水画風は、日韓両国に影響を及ぼす点で、東アジア国際様式として、より広範な国際性を有する。上述の「四時八景図冊」や、梁彭孫「山水図」、「瀟湘八景図(八幅)」、「金玄成賛 瀟湘八景図屏風(八曲一隻)」が、元代李郭派とともに、明代南宋院体山水画の源流をなす元代前浙派の手法をも受容する作例として挙げられる。また、面向向かって左下に山塊を置いて「辺角の景」を作り、左下隅から右上隅への対角線に巨大な馬遠風の松樹を絡ませる、典型的な明代南宋山水画風の作例である、元代李郭派の影響の全く認められない李上佐「松下歩月図」は、南宋・夏珪の伝称のある「山水図(対幅)」(鈴木敬『中国絵画史 中之一』東京:吉川弘文館、一九八四年、図版102-2)の向かって左の幅と同型の構図を踏まえており、「四時八景図冊」以下の上掲の作品すべてに明代南宋院体山水画風の影響を認めることができる。言い換えれば、それら朝鮮王朝の諸作例は、元代李郭派と明代南宋院体山水画風を融合させる点にその創造性を認めることができるのである。

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