醉裏得真如
案:本文排打《自敘帖》本文及日文翻譯,以為饗。
(深谷周道,《唐代碑帖解義─唐代書人傳》,東京:二玄社,1983。)
懷素家長沙。幼而事佛。經禪之暇。頗好筆翰。然恨未能遠覩前人之奇迹。所見甚淺。遂擔笈杖錫。西遊上國。謁見當代名公。錯綜其事。遺編絕簡。往往遇之。豁然心胸。略無疑滯。魚牋絹素。多所塵點。士大夫不以為恠焉。顏刑部。書家者流。精極筆法。水鏡之辨。許在末行。又以尚書司勳郎爐象、小宗伯張正言。曾為歌詩。故敘之曰。開士懷素。僧中之英。氣概通疎。性靈豁暢。精心草聖。積有歲時。江嶺之間。其名大署。故吏部侍郎韋公陟。覩其筆力。勗以有成。今禮部侍郎張公謂。賞其不羈引以遊處。兼好事者。同作歌以贊之。動盈卷軸。夫草槀之作。起於漢代。杜度崔瑗。始以妙聞。迨乎伯英。尤擅其美。羲獻茲降。虞陸相承。口訣手授。以至於吳郡張旭。長史雖資性顛逸。超絕古今。而模楷精法詳。特為真正。真卿早歲。長接遊居。屢蒙激昂。教以筆法。資質劣弱。又嬰物務。不能墾習。迄無以成。追思一言。何可復得。忽見詩作縱橫不群。迅疾駭人。若還舊觀。向使師得親承善誘。凾挹規模。則入室之賓。捨子奚適。嗟嘆不足。聊書此。以冠諸篇首。
其後繼不絕。溢乎箱篋。其述形似。則有張禮部云。奔蛇走虺勢入座。驟雨旋風聲滿堂。盧員外云。初疑輕煙澹古松。又似山開萬仞峰。王永州邕曰。寒猿飲水撼枯藤。壯士拔山伸勁鐵。朱處士遙云。筆下唯看激電流。字成只畏盤龍走。敘機格。則有李御史舟云。昔張旭之作也。時人謂之張顛。今懷素之為也。余實謂之狂僧。以狂繼顛。誰曰不可。張公又云。稽山賀老粗知名。吳郡張顛曾不面。許御史瑤云。志在新奇無定則。古瘦灕纚半無墨。醉來信手兩三行。醒後卻書書不得。戴御史叔倫云。心手相師勢轉奇。詭形恠狀飜合宜。人人欲問此中妙。懷素自言初不知。語疾速。則有竇御史冀云。粉壁長廊數十間。興來小豁胸中氣。忽然絕叫三五聲。滿壁縱橫千萬字。戴公又云。馳毫驟墨列奔駟。滿座失聲看不及。目愚劣。則有從父司勳員外郎吳興錢起詩云。遠錫無前侶。孤雲寄太虛。狂來輕世界。醉裏得真如。皆辭旨激切。理識玄奧。固非虛薄之所敢當。徒增愧畏耳。時大曆丁巳冬十月廿有八日。
(本文句讀未悉從書)
懷素は長沙に家す。幼にして佛に事え。經禪の暇にすこぶる筆翰を好めり。然れども、未だ遠く前人の奇迹を覩ること能わず、見るところ甚だ淺きを恨む。遂に笈を擔いて錫を杖つき、西のかた上國に遊び、當代の名公に謁見し、その事を錯綜し、遺編絕簡、往々にして之に遇う。心胸を豁然たらしめ、略ぼ凝滯するなく、魚牋絹素、塵點するところ多し。士大夫、以って怪と為さず。顏刑部、書家者流なり。筆法に精極す。水鏡の辨、許して末行にあり。また、尚書司勳郎盧象、小宗伯張正言は、曾て歌詩を為れるを以っての故に、之に敘して曰く。「開士懷素は、僧中の英なり。氣概通疎、性靈豁暢なり。心を草聖に精しくし、積むこと歲時あり。江嶺の間、その名、大いに著わる。故の吏部侍郎韋公陟、その筆力を覩て、勗(はげま)すに有成を以ってす。今の禮部侍郎張公謂は、その不羈なる賞し、引いて以って遊處す。兼ねて好事の者と、同に歌を作りて以って之を贊し、動もすれば卷軸を盈たす。夫れ、草稿の作るは、漢代に起り、杜度・崔瑗、始めて妙を以って聞え、伯英に迨(およ)びて、尤もその美を擅(ほしいま)まにす。羲・獻にこれ降り、虞・陸相承け、口訣手授して、以って吳郡の張旭に至る。長史、姿性顛逸、古今に超絕すと雖も、而も模楷精法詳にして、特に真正と為す。真卿早歲、常に遊居を接し、しばしば激昂を蒙り、教ふるに筆法を以ってするも、資質劣弱にして、また物務に嬰(かか)わり、墾習すること能わず。迄に以って成ることなし。一言を追思するに、何ぞ復た得べけんや。忽ち師の作の縱橫にして群せず。迅疾にして人を駭(おどろ)かすを見て、舊觀に還るが若し。向使師、親しく善誘を承け、規模を函挹するを得れば、則ち入室の賓、子を捨きて奚ぞ適はん。嗟嘆する足らず。聊か此を書して、以って諸を篇首に冠す」と。
その後、繼いて作るもの絕えず。箱篋に溢る。その形似を述べるものに、則ち張禮部あり。云う、「奔蛇走虺、勢い座に入り、驟雨旋風、聲、堂に滿つ」と。盧員外云う、「初めは輕煙の古松を澹(うご)かすかと疑ひ、また山の萬仞の峰を開くに似たり」と。王永州邕曰く、「寒猿、水(かわ)に飲みて枯藤を撼かし、壯士、山を抜いて勁鐵を伸ぶ」と。朱處士遙云う、「筆を下せば、唯だ激電の流るるを看る、字、成って只だ盤龍の走るを畏る」と。機格を敘べるには、則ち李御史舟あり。云う、「昔、張旭の作るや、時人、之を張顛と謂う、今、懷素の為るや、余、實に之を狂僧と謂う。狂を以って顛に繼ぐ、誰か不可と曰わん」と。張公また云う、「嵇山の賀老ほぼ名を知るも、吳郡の張顛、曾て面せず」と。許御史瑤云う、「志、新奇に在りて定則なく、古瘦、灕(り)纚(し)として半ば墨なし。醉い來って手に信す、兩三行、醒後、卻って書すると、書し得ず」と。戴御史叔倫云う、「心手、相師として勢、轉(うた)た奇なり、詭形怪狀、翻って宜しきに合す。人々、此の中の妙を問わんと欲す、懷素、自ら言う、初より知らず」と。疾速を語るには、則ち竇御史冀あり。云う、「粉壁の長廊、數十間、興來って小(すこ)しく豁く胸中の氣。忽然、絕叫す三五聲、滿壁縱橫千萬字」と。戴公また云う、「毫を馳せ墨を驟せ奔駟を列す、滿座、聲を失ひ看れども及ばず」と。愚劣を目せるには則ち從父、司勲員外郎吳興の錢起あり。詩に云う、「遠錫、前侶なく、孤雲、太虛に寄す。狂來、世界を輕んじ、醉裏、真如を得たり」と。みな辭旨激切にして、理識、玄奧なり。固より虛薄の敢て當るところに非ず、徒(いたずら)に愧畏を增すのみと。時に大曆丁巳冬十月廿有八日。