《天平‧奈良》,朝日新聞社,1973。
長広敏雄
スライト説明
〔薬師寺伽藍配置復元図〕
薬師寺伽藍の推定の復元でございます。今残っていますのは東塔。十七、十八世紀に再建した金堂、東院堂その他。今度これをもとのように復元しようという運動がされているようであります。それに中門があって南大門がある。非常に古い形式の伽藍配置です。と申しますのは、金堂と塔を包んで回廊があって、回廊が講堂につながっている。つまり、みんな回廊で包んでしまったという形式です。後ろにお坊さんたちの食堂、東西に僧坊があった。
〔大安寺伽藍配置復元図〕
ごらんのように非常に豪華な寺であったということがわかる。薬師寺と違います。金堂があって、そこから回廊がありまして、中門、南大門。塔はずっと外のほうにつくら れたようでございます。そして、最近の発掘によりまして非常に複雑な回廊、講堂のところからまわりまして僧坊、それから突き出したようなところが現在発見されている。これは中国の西明寺を頭に描いてつくられたという伝説でございますけれども、さっきの薬師寺よりは一段と進んだ伽藍配置でございます。
〔元興寺伽藍配置復元図〕
元興寺は、元来は飛鳥寺の古い伝統を持った寺でございますから、金堂を真中にしまして中門から回廊をまわしてしまうという、やっぱり古いタイプでございます。ただ塔のぐるりに回廊をまわしまして、塔の門が金堂のほうに向かって付いておる。つまり塔は金堂のほうに向かうというふうになる。後に出来たものは南面しております。これは別問題でございます。現在残っております極楽坊は東室南階太房で、あとは全部なくなってしまった。こういうふうに古い伽藍配置を持ちながら、しかもそれを豪華にしたというやり方でございます。
〔興福寺伽藍配置復元図〕
猿沢池の北側を東西 に三条通りが通っておりまして、石段を上が って行きますと、南大門の礎石が今残っております。その東に五重塔があります。これは もとのところに建ったわけです。この塔を囲んでぐるっと回廊があったと思われる。そして、これと東金堂がいっしょになっている。聖武天皇の発願が東金堂、光明皇后の発願が五重塔。その二つを囲んだということが意味があるように学者は考えている。左右対称の配置ですが、南大門、中門、金堂がありまして、それ回廊で囲んでいる。後ろに講堂がありまして、左右に経蔵とか鐘楼とかいろんなものがあって、さらに西室、東室、それから離れて細殿、食堂。非常に豪華なものです。中金堂の右に東金堂、左に西金堂。西金堂のところは、回廊は今のところ発見されておりません。今の北円堂のありますと ころに、やはり回廊をめぐらしておる。そして回廊が、いわゆる複廊と申しまして、真中に柱を立てて──法隆寺なんかは単廊ですが、興福寺の場合は複廊になっていたということがわかる。真中に壁が一つあるわけです。これが何遍か焼けて、次から次へと復興されまして、現在も東塔と東金堂、北円堂が福残っている。西門というのは、現在奈良県庁の面している登大路、近鉄奈良駅から登大路へ行く坂の上 のあたりに西門があった。ですからある学者は、県庁の前の登大路を拡張したということはとんでもな いことである、あそこは昔のように興福寺の北の坊であるということを残すべきであった、と言っております。
〔薬師寺三重塔〕
これは裳階(もこし)を付けていることがたいへん珍しい。しかも瓦屋根のそりが独特な美しさ。そして裳階は一階が五間(ま)になっており、二階が三間、またその上が三間になって小さいもの。主屋は、一階、二階が三間。ところが三階は二間。間(ま)数が非常に変化があって、われわれの目に楽しげなリズム感を与える。言うならば、たいへん女性的な、日本の塔には珍しい美しさを示している。
〔同塔水煙〕
これはブロンズでつくりまして、この上に元来は鍍金がしてあった。今でも多少残っております。天人が両側に三体いまして、天人の天衣(てんね)が煙のように立ちのぼっている。それで水煙という名前が付けられた。
天人も一体ずつ見ますとたいへんおもしろい姿でございます。上半身が裸で、スカートのようなものをはいている。
〔薬師寺東院堂聖観音像〕
ごらんのように非常に端麗な姿。天平時代の暁という感じの、堂々としたりっぱな像でございます。お顔の円満なこと、あるいは全体のからだつきの円満さ、まさに円満という言葉が当たると思います。ただ、次の薬師三尊に比べますと、手の出し方が少しぎこちない。これはやはり前の時代からの鋳金技法のなごりだと思います。衣文線なども非常に古調である。頭の飾りには古墳時代からの模様が残っています。
〔薬師寺金堂薬師如来像〕
天平の仏像中でも彫刻的な美しさでは第一等の、非常にりっぱなものだと思います。円満な、どこを見ても非の打ちどころのないほど調和のとれている仏像だと思います。後ろの光背はむろん後の時代でございますから、光背はネグレクトしてお考え願いたい。鋳金の技術も、このあたりが最高になっていたのじゃなかろうか。このあとに、これを頭に入れて東大寺大仏殿の大仏を考えたわけでありましょう。
〔薬師如来像実測図〕
奈良の文化財研究所が苦心をしてつくりました写真による実測図です。胸の真中にまんじもんがつくってある。頭の少し大きいのは、やはり下から仰ぎ見るよ うにするためと思われる。伏せ目をしている目は拝む者のほうを見ているというふうな感じです。こういう実測図を見ても、ほんとうに調和のとれた像であることがわかります。
〔薬師寺金堂日光菩薩像〕
日光菩薩と月光菩薩はまったく同じの、シンメトリカルに反対にしただけでございますが、これも光背はネグレクトしてお考え下さい。ややおなかを前に出したポーズが、中国から伝わりましたこの時代のいちばん新しいスタイル。しかし、少し前に出していると言っても、全体のからだ自体はちっとも調和をくずさない、実に端麗な姿である。裳の裾もや やはねることによって、もうちょっと前の白鳳時代からの仏像のつながりがこの辺に見られる。どの点をとりましても鋳金技術はうまいものです。
〔薬師寺金堂月光菩薩像〕
手の部分だけが日光菩薩と少し違います。月光菩薩のほうがやさしい。親指と人指し指をまるくするところが、月光のほうがやさしくなっております。その他はほとんど違わない。おなかを少し前に出して弓なりになるような格好、こういうポーズは、もうこのあとには出てまいりません。天平時代というのはたいへんおもしろい時代で、それぞれの像が、似ているようで、独自性を持っております。
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