帰国日本人

日本に生まれ日本で育ち、日本で仕事をする。そして日本で死ぬ。これがこれまでの一般的な日本人の生活であった。しかしながら、最近では何らかの理由で海外に住むことになり、そのまま現地にとどまり、日本に帰って来ない人々さえいる。グローバル化したビジネス社会で活躍する人々はもちろん、自分の生活を海外でなどと考えたこともなったような人々までも、気がつけば日本からはるか離れた地域で現地の人々現地語を使って仕事をせざるをえないといった状況になっても不思議ではない時代となった。海外赴任と一口にいっても、数年で帰国といった場合から、10年、20年と長期間にわっての海外生活など、滞在期間は個人の事情によってさまざまである。しかし、一定期間海外に暮らし後で日本に帰国した場合、共通しているのは、母国日本におて大なり小なりさまざまま問題に遭遇し、困惑するということである。

帰国の場合、もともと自分の住んでいた国に戻るのだから、海外に出かけるときほど心配する必要はないように思うだろう。しかし、ある程度の期間海外で生活した場合、そこでの考え方なり、行動のパターンなりを学習しているのが普通である。つまり、海外で長く暮らすうちに異なった価値観やコミュニケーションのスタイルなどを身に付け、知らず知らずのうちに、「これが正しい」「これが普通だ」と捉える軸のようなものが変化してしまっているということがある。そんなふうにいわば外国の文化を取り入れた状態で帰国っすると、まるで外国人が日本文化に対して受けるのと同じような衝撃を受けたりする。このように帰国した本人はある意味、自分がまるで「浦島太郎」になってしまったかのような「居心地の悪さ」を感じているのに、周囲の人々は当然、昔のままの個人の期待する。また、外国人なら文句を言っても許してもらえるところが、「日本人のくせの何で日本人の文句なんか言うんだ」と冷たくあしらわれ、また、「外国人かぶれ」と陰口を叩かれたり、「2年前の陽子に戻ってくれ」など周囲からの声も重くのしかかり、ますます追い詰められた気分になってしまうということがある。このような、帰国した人々が体験する心の葛藤は、一般に「逆カルチャーショック」や「帰国カルチャーショック」として研究されている。

帰国児童・生徒の適応

1970年代、80年代の一現象として日本社会で注目された問題に「帰国子女」の再適応があった。親の海外に赴任に伴って海外で育った子どもたちは、現地では日本人学校、日本語補習校、あるいは現地校、インターナショナル・スクールと現地の事情や親の考えに戻ってみると、明らかに当該学年に相当する日本語力が不足していて、英語以外の科目ではまったくついていけない子どもが続出した。また、得意なずの英語に関しても悩みがあった。それは、英語を母語とする人々と同じように発音したために、周囲の生徒たちにねたまれ、いじめの対象になってしまうということだった。そんなにとが続くと、今度は帰国生の間で「帰国して英語の発音がよすぎるといじめられる」という噂が広まり、一部の帰国生はわざと他の日本人生徒のように下手に発音して目立たないように努力するという、いわゆる「隠れ帰国子女」といわれる生徒が生まれるようになった。

このような事情もあってか、海外に行った場合でも、こぞって子どもを日本人学校にいかせたり、それがかなわない場合でも、週末に通う日本語補習校での勉強に熱を入れさせ、日本の学校教育から外れすぎないように、そして日本人らしさを失わないようにという配慮をする親が増えるようになったという。また、帰国の際しては、帰国生たちも一刻も早く日本の学校生活に適応しょうと試み、学校側も海外で身に付けた考え方やしぐさなどを完全に取り除くような指導をした。これが、「外国はがし」である。近年はそのような画一的な日本の教育のあり方に反省が生まれ、子どもたちが海外で身に付けた特性を伸ばし、さらには彼らも日本人生徒からいろいろ学ぶという、「相互学習」の気運がいくぶん高まってきたが、受け入れ体制の不備や帰国生の心理を理解できない教員など、いまだ問題は山積みしでいる。

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