金髪ALT(外国語指導助手)クリスティーナさんの悩み

27歳のイギリス女性クリスティーナ・スミスさんは、文部科学省の英語助手プログラムで来日し、兵庫県の北部にある人口約4000人の町に赴任してきた。彼女の仕事は、近隣の中学校で日本人の先生とともに授業に参加して、生徒の英語学習の手伝いをすることであった。ところが、金髪の女性がその町に来る前代未聞ということで、彼女はたちまちのうちに町の有名人となってしまった。そんな「有名人」の彼女を一番悩ませたのは、自分がプライバシーだと思っていることを、みんながなぜか知っていたことだった。例えば、生徒が自分のもらっている給料の額を知っていた。おかしいと思っていろいろ聞いてみると、何と地元の新聞の紹介記事の中に述べられていたのだ。また、あるとき、気分転換に大阪に行ったことがあったが、翌日には彼女が駅に着いた時間からバスに乗った時間、そしてどこを歩いて自宅に戻ったかなと、一挙手一投足が町のみんなに知れわたっていた。

そんな彼女に追い討ちをかける出来事が起こった。なんと、あるとき駅の近くの喫茶店に入ったところ、横のテーブルに座っていた子ども連れの女性から、「子どもがあなたの金髪にさわってみたいと言っているので、さわっていいでしょか」と尋ねられた。驚いたが仕方なく、「どうぞ」と言ったところ、本当にさわりにきた。ところが、その母親は、さらに「家の者に見せたいので、髪の毛を1本いただけますか」と言うではないか。あきれ果てたクリスティーナさんは、とにかく親子に早くその場から立ち去ってもらおうと、自分の毛を1本抜いて、親子に渡したのだった。

彼女のいらいらをさらに募らされたのが、学校のチーム・ティーチングを行うことになった日本人の男性英語教員である田中さんである。田中さんにはいっこうにそんな様子もない。おかしいと思って尋ねてみたところ、「Never mind. Do as I tell you.」(心配無用。私が言った通りのことをしてください)と言うだてだった。実際に授業が始まってみると、教室で彼女に与えられた席は窓側の一番前であった。そのうえ、彼女の役割は、テキストを読むときに使われる「CDプレーヤー」の代わりだけだったのだ!このような状況がその後も続き、田中そんの授業の進め方も賛成できないところがあったので、彼女は再び自分の教育方針を述べ、一緒に授業計画を練りなおすよう提案した。すると田中さんは、「Well, maybe. Sometime later.」(まあ。そのうちに)と言ったきり、なかなかその機会をもとうとしたなかった。

ある日の授業中に手もちぶさたであった彼女は、とうとうペーパーバックを取り出して読み始めてしまった。それを発見した田中さんは「Why are you reading it, not the text book?」(どうして教科書でない本を読んでいるの?)と怒った調子で言い、「そんなに私のやり方が気にくわないなら、前に立って今すぐに授業をしなさい」といった趣旨のことを生徒の前で告げた。教える準備をしていなかった彼女は大変戸惑ったが、何とかその場をとりつで、没交渉の状態が続き、仕事にも絶望した彼女は、任期の途中で帰国の途についた。

設問

なぜ、クリスティーナさんは任期途中で帰ってしまったのだろうか。また、こんなことにないようにするには、どのような心配りが必要だろうか。

考察

まず、大きな要因といえば、彼女はがいいわゆる「カルチャーショック」に苦しんでいたということが考えられよう。彼女の場合は、イギリスから日本という大きな文化移動をしたうえに、さらに赴任先が小さな田舎町だったという二重のショックになったということが問題を大きくしていたように思われる。東京など外国人の多いところであれば、気晴らしいに出かけることも可能だし、また一歩学校を出てしまえば解放感も味わえる。ところが、田舎町では彼女のように外見が異なる場合は特に、人からの好奇の視線にさらされることになる。関西のある大学に教員として職を得て来日したアフリカ系のアメリカ人女性教員も、「人が自分をじろじろみる」というつらさのあまり、1年で帰国を決めたという話を聞いたことがある。自分がみられる方ではない場合、気にもとめないようなささいなことでも本人にとっては大問題ということがよくあるが、これもその一例であろう。つまり、このような体験をしたことがない場合はぴんとこないし、小さな問題としか映らないかもしれないが、特に異文化の地に1人でいるようなつらいときに、どこにいても人の執拗な視線を感じるというのはあまり気持ちのよいものではないだろう。また、まるで自分のプライバシーがないように感じるというのも、普通の人にとっては、精神的にはとてもつらいものである。とにかく、クリスティーナさんはまるで鳥かごの中に閉じ込められたような閉塞感を感じ続けていたことだろう。

また、彼女の閉塞感追い討ちをかけたのが、日本人教員の田中さんの態度であった。田中さんにしてみれば、受験のこともあるし、教えなくてはいけない内容はすべて決まっているのだから、彼女のようなALTの入り込む余地はない。つまり、ALTはお上から振り分けられたお荷物のような存在だあり、せいぜい発音指導だけしてくれればそれで十分、というふうに考えていたのではないだろうか。しかし、クリスティーナさんは、そのような田中さんの思惑がわかっていたとは思えない。チーム・ティーチングで行うと聞いていたのであれば、当然授業は彼女と田中さんが一緒に計画し、協力して行うものだというイメージがあったことだろう。ということで、当初から2人の思惑は大きくずれていた。

実際、ALTの制度が始まり、多くの外国人教員が日本に来るとうになって以来、日本の各地で似たような問題が起こっているという。ALTと日本人英語教員とのコミュニケーション・ギャップについての研究も進められているが、なかなかよい解決法といえるようまものまでたどり着かないのが現状だ。日本人教員もALTもこのような最悪の結果にならないように、まず最初にお互いに対する期待や役割などをきっちりと話し合い、確認することから始めるという努力が求められよう。

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