2、「壇像」考
この壇像表現を美とし、好む感覚は現代の台湾にも受け継がれている。台湾中西部の栗苗県三義は樟をはじめとする良質の木材が産出する為、日本統治時代後期から現代に至るまで、神仏像から民芸品に至るあらゆる分野の木彫制作が盛んである。その全てにおいて一材からその形体を彫出している。伝統的な神仏像制作の他に、蓮の葉にとまる様々な虫や、岩場に這う蟹の姿をリアルに彫出した作品などの伝統工芸品が数多く作られているが、いずれもその殆どは一材から彫り出されており、むしろ材の継足しを忌み嫌う。そこにはやはり、木の持つ霊的材質感を効果的に取り入れる姿勢が認められる。伝統として受け継がれてきた物のそのほとんどは、常に各時代の新しい感覚を取り入れながらも長い歴史の中で、ほぼその造形精神を残している。
ここで興味深い仏師を取り上げる。台湾を代表する現代仏師である呉栄賜氏は、若い頃から著名な仏師に弟子入りし、あらゆる神仏像の制作法を伝受した後、仏師として独立した。以後中国の伝統的な造仏方法を踏まえ、独自の創作方法で多くの神仏像を制作し、台湾を中心として世界的に活躍している。呉氏の作品にもやはり壇像の精神が受け継がれている。壇木こそ用いないが、樟脳を含む樟をその材とし、一材から全ての形を彫出する。樟の美しい木目を生かし、彫刻鑿の刀跡を生かしたその彫刻技術と創造的作品内容は、台湾彫刻界においても群を抜いている。木彫に限らず、 塑像像造技術に関してもまた中国伝統の技法を伝受しており、その造形力には驚愕する。彫刻行為(カーヴィング)に長けた作家は、一塊の中にその形体を見ることが可能である。当然可塑行為(モデリング)がその基礎的造形要素となる。呉栄賜氏も木彫と塑像に卓越した造形力を持ち合わせている。
木彫に限らず、 中国では昔から玉や・象牙・竹等、一塊から彫出する作品が数多く存在している。台湾の台北・故宮博物院所蔵の多くの宝物、特に小品のほとんどが一塊から彫出されている。良渚文化の「玉琮」や「玉鷹紋圭」、清代「翠玉白菜」等の玉品、清代「雕象牙龍舟」・「多層球」・「雕象牙鏤空人物筆筒」等の象牙品など、各素材自体の採取可能な体積が小さい事も理由のひとつであろうが、ちょうど手にとって見ることの出来る大きさである。それらはその小空間の中において、貴重である材質の美しさと、選び抜かれた優秀な彫刻家の技術と、気の遠くなるような根気と労力を間近に感じ取ることが出来る。
ある意味、物を入れる用途を絶対条件とする陶磁器と性格を共にする。陶磁器は割れてしまうとその価値を失う。見た目の美しさだけでなく、物、特に液体状のものを入れるという用途が失われると同時に、その価値を失う。たとえ接着剤で修理し物を入れる用途を再度得たとしても、その価値は回復しない。ある焼成時に形成された器、云わば流動的な土が、ある形態に造形され乾燥した後、窯内で真っ赤に融解し一体化した陶磁器は、壇像的な世界と同様それを形成する材料は同一であり、最小限継ぎ目の無い材質的純粋性を保持している。
これらに共通して言えることは、ある精神的或いは象徴的なイメージを具体化し、物質を媒介し顕在化したものである。動植物の固体や自然鉱石の材質的神秘性が持つ、霊的効果が期待されると同時に、その素材の価値が重要視され広く使用される。そして魂や精神と呼ぶ霊的なものは、それらの制作行為そのものにおいて既に発生している。そして、様々な素材がまたその性格を決定する。
3、第二回渡航計画時の将来品「泥塑」
前項で述べた渡航計画(753年)の成功は第六回目にあたる。第一回の渡航計画は、それから遡ること10年前の天宝元年(742年)春で、同行僧の一人・如海の密訴により失敗した。その後、第二回渡航も天宝三年(744年)一月、冬季の悪天候のため再び失敗する。その時準備されていた将来品は以下の通りである。
食品類:苓脂紅緑米一万石、甜豉(味噌の類)三十石、牛((ヨーグルト)一百八十斤、麺五十石、乾胡餅二車、乾蒸餅一車、乾薄餅一万番、捻頭一半車。
仏像:画の五頂像一舖、宝像一舖、金漆泥像一躯、六枚折り仏菩薩の障子(今の屏風の類)一具。
経典類:金字華厳経一部、金字大品経一部、金字大集経一部、金字涅槃経一部、そのほかの経・論・疏すべて一百部。
仏具:月令の障子一具、行天の障子一具、道場幡一百二十口、珠幡十四条、玉還の手幡八口、螺鈿の経函五十口、銅瓶二十口、華氈二十四領、袈裟一千頭、偏衫一千対、坐具一千床、大銅盂四口、行菜盂四十口、大銅盤二十面、中銅盤二十面、小銅盤四十四面、一尺面の銅畳八十面、小銅畳三百面、白藤の箪十六領、五色の藤の箪六領。
薬品・香料:麝香二十剤、沈香・甲香・甘松香・竜脳香・膽唐香・安息香・棧香・零陵香・青木香薰陸香、すべて六百斤。
そのほか:青銭一万貫、正炉銭一万貫、紫辺銭五千貫、羅の樸頭二千枚、麻靴三十畳、(「まだれ」に「帯」)(「由」の下に「日」)三十箇。
(東征伝)
これら将来品の数々は、渡航の失敗により遺憾ながら日本には齎されなかったが、品目の中にもやはり仏像が含まれている。「金漆泥像一躯」とあるが、これは仏像の表面に漆を塗り、金箔が貼られた塑像である。
日本における塑像彫刻といえば、法隆寺五重塔の塑像塔本四面具や同寺中門金剛力士立像、新薬師寺の十二神将立像、東大寺戒壇院の四天王立像、同寺法華堂の秘仏執金剛神立像、同堂日光・月光菩薩立像等に代表されるよう、天平時代にそれらの傑作が作られているが、その源流もやはり中国である。特にシルクロードの玄関口である敦煌莫高窟には、膨大な数の極彩色塑像が安置されており、今でもその原形を留めている。周辺で採取可能な彫刻材料は石でも木でもなく、良質の土であった。材料の選定については、その土地の自然環境や、住人の民族的造形感覚に大きく左右される。
塑像とは無焼成で完成された土製彫像のことであり、焼成像とは区別する。焼成像には二種類ある。800°C程度で焼成された素焼きの彫像をテラコッタと呼び、また素焼き後、施釉し1100°Cから1300°Cに焼成された彫像のことを陶俑(唐三彩)と呼ぶ。中国におけるテラコッタの代表的なものとして、秦の始皇帝陵の兵馬俑が挙げられるが、あまりにも膨大な数量であり、それらを焼き上げる焼成燃料として莫大な量の木材を必要とするため、周辺の広大な森林が消滅した。これでは持続的に大量の彫像を制作し続けることは不可能である。そこで、その解決策若しくは焼成燃料の乏しい環境において、焼成過程を必要としない塑像という像造方法が徐々に作られ始めたのではないかと考えられる。先に述べた敦煌莫高窟における塑像群も、このような条件下で制作されたのであろう。
中国の塑像は、大きく二種類に分類される。一番多く用いられているのが、藁縄で巻かれた芯木の周りに寸莎を混ぜた粗土を何層にも可塑し、表面形態に近くなるほど雲母を混ぜた粒子の細かい精土を用い形成する一般的な方法と、内部を空洞にし、井形状に仕切られた空間で構築し、外形を整形し、罅裂を防ぎながら自然乾燥と共に全体を収縮させ形成する方法とがある。便宜上前者を「有芯塑像」、後者を「有空塑像」と名付けよう。芯棒を有する塑像と、空間を有する塑像を意味する。通常水分を含んだ粘土は、柔軟で造形し易い。しかし、乾燥するに従いある程度の大きさになるとその収縮により罅裂する。その収縮による罅裂を防ぎ、乾燥と同時により像全体を強固にする役割を担うのが寸莎である。有芯塑像にはこれらが必要だが、有空塑像は特に必要としない。有空塑像の場合、そのまま焼成可能である事からみて、陶俑などにみられるような陶芸技法から波及した彫刻技法であることが分かる。更に時代を遡れば、秦の始皇帝による兵馬俑やそれ以前にもその技法を求めることが出来る。
鑑真和上将来品として準備されていた「金漆泥像」は、有空塑像の可能性が高い。有芯塑像であれば、莫高窟にみられるような極彩色で彩られている塑像であるに違いない。しかし、「金漆」とあることから漆で表面処理され、金箔を施したものである。有空塑像は、もともと陶俑的感覚で制作したものであるから、漆を釉薬の代用品として使用したものと考えられる。焼成しないまでも内部を井型状、或いは井型状+円筒状に構築するとかなり強固なものとなる。乾燥後漆を表面に塗り込み、硬化させることでより強固になる。焼成品と比較すれば明らかに強度は落ちるが、乾燥しただけでもかなり強い。焼成する必要がないということは、大規模な造窯や燃料となる膨大な木材を必要としないということである。これは非常に経済的であり、尚且つ持続的な像造が可能であるということを意味する。表面を漆で固めれば、外気の湿気や雨にも耐えうる。更に表面に金箔を貼れば金銅仏とほぼ同様の状態に仕上がる。強度的には最も繊弱ではあるが、制作上の危険性や辛苦を伴わず、短期間かつ経済的に完成できる造像方法である。敦煌の気候風土に最も適した造形方法であると言える。
おそらく移動時携帯可能な念持仏程度の大きさであれば有空塑像で制作し、石窟や寺院内に安置する大型で永久設置する像であれば、有芯塑像で現場制作したのではないかと思われる。現に敦煌莫高窟の塑造群や、先に挙げた法隆寺五重塔の塑像塔本四面具をはじめとする日本の塑像の逸品は全て有芯塑像である。これらは全て風雨を避けた堂内に永久設置されることを前提に制作されている。
今日的西洋志向の彫刻的感覚で言えば、土で形成されている「塑像」は物理的にみても繊弱な印象を与える。西洋の彫刻とはモニュメンタルなものが多く、主に野外設置における耐久性を必要とするため、必然的に石やブロンズによる造像となる。しかし、中国敦煌や天平時代の日本における信仰の対象である仏像は、石窟内や堂内という比較的乾燥し安定した環境の中に安置するため、堅牢な素材を使う必要性はない。逆に繊細で軟弱な「土」という素材を用いることで、その美しくも儚い仏教世界観を表現するという効果を創り上げる。