2. 従来の調査報告・研究の成果
インド深南部の仏教美術に関し逸早く紹介したのは1878年のIndian Antiquaryの第7巻に掲載されたW. エリオットの "The Edifice Formerly Known as the Chinese or Jaina Pagoda at Negapatam" である。同氏は、中国仏塔(チーナ・パゴダ)として知られるナーガパッティナムの煉瓦塔についてを報告する中、同地で発見された5体の仏像についてを言及している。ただし、同報告書において仏像についての詳細、年代考察などの記述を見ることはできない。一方、T. A. G. ラーオが1915年にIndian Antiquaryの第44号に発表した "Bauddha Vestiges in Kanchipura" には仏像の現存例に関する詳しい記述を見ることができる。まず、カーンチープラムのカーマークシ・アンマン(Kamaksi Amman)寺院から発見された仏立像(現在、チェンナイ州立博物館に所蔵)について、像高は7フィート・10インチ、両手は損失しているが右手は施無畏印、左手は鉢を持っていたのであろうと述べられる。また、鼻が磨滅しているものの、他の箇所については保存状態が良好であり、偏袒右肩の大衣の襞が美しく腿の上に表現されているという。同像のように像高が2メートルを超える巨大な仏像が、何故、ヒンドゥー教寺院で見つかったかについて、ラーオはカーマークシアンマン寺院がかつて仏教寺院だった、あるいは仏教寺院の敷地内に同寺院が建てられたのではないかと推測している。この仏立像のほか、同報告書では、カーマークシアン マン寺院から発見された頭部欠損の禅定印を結ぶ仏坐像、同寺院に接する庭園で見つかった仏坐像、さらにカーンチープラム市内のカルッキラマルンダ・アンマン(Karukkilamarnda Amman)寺院内でヒンドゥー教徒に礼拝されている2体の仏坐像について、像高、座法、着衣法、印相などが言及される。そして、今後、より大規模で念入りな調査が実施されれば、必ずや多くの仏教関連の出土品が見つかるという展望、さらに、熱意ある考古学者が同地方の仏教美術に対し興味を向けて欲しいという期待を述べ、ラーオは同報告書を結んでいる。 大著 Elements of Hindu Iconography(1914年出版)をまとめ、ヒンドゥー教美術の研究者として知られる同氏がインド深南部の仏教美術に対し並々ならぬ注目を向けていたことはインド美術史研究の上でも特筆に値するであろう。ところで、タミル・ナードゥ州に西接するケーララ州からも仏像が出土しており、ラーオはそれらの作例に関して "Jaina and Bauddha Vestiges in Travancore" という報告書を Travancore Archaeological Series (Vol.II, Part 2) に発表している。同氏は旧トラヴァンコール藩領から見つかった5体の仏像についてを紹介するかたわら、同地のバガヴァティー(Bhagavati)寺院で行われているカットゥカールッチャイ(Kattukālchchai)祭りが仏教に由来するものではないかとも指摘している。また、P. C. アレキサンダーが1949年に出版したBuddhism in Keralaでは、ラーオが報告した5例の仏像のほか、2例の金属製出土品を紹介、それら出土品が集中する旧トラヴァンコー ル藩領の中部には、かつて仏教センターがあったのだろうと推察している。
このようにインド深南部の仏教美術に関して報告がなされる中、同テーマの代表的な研究といえる T. N. ラーマチャンドランの The Nagapattinam and Other Buddhist Bronzes in the Madras Museumが1954年に発表される。前述のようにタミル・ナードゥ州のナーガパッティナムからは350体以上もの仏教関連の金属製遺品が発見されているが、ラーマチャンドランはそれらの出土品について、仏立像、触地印を結ぶ仏坐像、禅定印を結ぶ仏坐像、観音菩薩像、弥勒菩薩像、ターラー像、ジャンバラ 像、ヴァスダーラー像、阿羅漢像というように分類、それぞれの図像的な特徴、作風などが詳細に考察されている。さて、タミル地方から出土した金属製の仏像には銘文を有するものが少なからず残り、ラーマ チャンドランの研究書では銘文の内容ととにも書体についてが言及、制作年代を推定する手がかりとなっている。このような詳細な考察の結果、同氏はナーガパッティナムから齎された仏教関連の遺品が11世紀から15世紀にかけて制作され、その大多数に関してはチョーラ朝後期(1070-1250年)に造られたものであろうと推測している。ラーマチャンドランの研究に続きマドラス(チェンナイ)の州立博物館からは1960年、Story of Buddhism with Special Reference to South Indiaという題目の論文集が刊行、その中に収録されたP. R. シュリーニヴァーサンの "Buddhist Images of South India" は南インド下から出土した仏像について図像解釈、図像生成、さらに制作年代の問題というように、多角的な視点から仏教美術を扱った論考になっている。例えば、インド深南部から出土する仏像で広く見られる頭頂部の炎について、シュリーニヴァーサンはヨーガのエネルギーと関連するものであることを指摘、最上のヨーギ、あるいはヨーギの中の帝王としての仏陀は、クンダリニーと呼ばれるエネルギーを脊椎の基部から頭まで上昇させることができ、頭頂から神聖なる炎を放出、仏陀が内在するそのような力を人々に知らしめるために、仏像の頭には火炎が描かれたのではないかという解釈を展開している。さて、金属製の仏像とは異なり、現存するインド深南部の石彫仏像には銘文を残すものが寡少で、制作年代を確定することは容易ではないが、シュリーニヴァーサンは頭頂の炎について、その形状が完全に発展してない仏像は古層に属すと見なし、独自の年代づけを試みている。また、年代考察の別の目安として、同氏はタミル地方の仏像で頻繁にみられるトーラナ型の背障とアーチ型頭光の変遷を挙げている。同地方の仏像の中には下部両端に丸みをもったアーチ状の頭光を抱いている作例、また門(トーラナ)のようなモチーフの背障を伴う作例が数多く見られるが、シュリーニヴァーサンの見解によれば片蓋柱をもったトーラナ型のモチーフはアーチ型頭光からの発展形とし、アーチ型頭光をもつ仏像はトーラナ型背障をもつ仏像に先行すると推測、仏像制作年代の手がかりとしている。これらの目安、さらに作風などを検討しつつ、同氏は個々の作例に関して年代づけを行ない、南インドにおいてアーンドラ美術以降、7世紀から17世紀に至るまで仏教美術の活動が継続したと推察している。さらに同氏は何故、このような長期間、仏教美術が同地方で存続したかについて、北インドの大乗仏教において発達した多様な図像を南インドは享受せず、仏像表現の形式が固執、伝承され続けたためであろうという見解を提示している。
C. ミーナークシーが1979年に発表した "Buddhism in South India" の中にもインド深南部に現存する仏像が言及されている。同試論において仏像は坐像、立像といった像容、また印相などが述べられるに過ぎないが、カーンチー(Kanici)県、チェンガルパット(Cengalpattu)県、南アールコット(Arcot)県(現在のカダルール県とヴィルップラム Viluppuram 県)、北アールコット県(現在のティルヴァンナーマライ(Tiruvannamalai)県とヴェールール(Velur)県)、タンジャーヴール県、ティルッチ(Tirucci)県等で見られる石彫 仏像の現存例が報告、これまで紹介されることがなかった作例に着目している点は意義深い。さらに、「ペルマール寺院に属する庭園は現在もブッダパッリトーッタムと呼ばれる」とか、「ガネーシャ祠堂に接する土地は今もパッリッチャンダムと呼ばれる」など、仏像が出土した場所、あるいは仏像と関連の深い場所について、同氏は仏教信仰の痕跡を探求しており、それらはインド深南部における仏教のあり方を考える上でも貴重な情報となっている。1988年刊行のMarg第39号(no.4)に掲載されたV. デヘージア著 "The Persistence of Buddhism in Tamilnadu" は、同氏が推定する制作年代順にタミル・ナードゥ州から出土した仏像を紹介、通史的な形で同地方の仏教美術が把握できる構成となっている。特に同稿ではボストン博物館所蔵の金属製仏坐像、ブルックリン博物館の石彫仏坐像、シカゴ博物館の石彫仏坐像、ノートン・サイモン博物館の石彫仏坐像など、インド国外の博物館に所蔵されるタミル地方出土の仏像が、鮮明な写真挿図とともに紹介されているのは特筆すべきであろう。それら作例は、いずれも保存状態が良好なく洗練された造形力を見せており、同地方における仏教美術がいかに高い水準を誇っていたかを如実に伝えている。以上のほか、インド深南部の仏像についてを扱った報告書としてはK. シヴァラーマリンガム著 Archaeological Atlas of the Antique Remains of Buddhism in Tamil Nadu、スウェーデンのウプサラ大学から出版されたBuddhism among Tamils in Pre-Colonial Tamilakam and Ilam, Part2 に収録のT. ダ ヤーラン著 "Recent Finds of Buddhist Artifacts and Architecture in Tamilakam" 等がある。前者はタミル・ナードゥ州における仏像関連の出土地、仏像が現存する場所を地域別に列挙、後者はパーンディッ チェーリPandicceri(ポンディシェリ)近郊、マーマッラプラム(Mamallapuram)、ラーメーシュヴァラム(Ramesvaram)等から発見された仏像についてを簡略的に報告、付記として仏教関連の出土品があったタミル地方の地名(85箇所)が紹介されている。