(5)羅。巻五一では「鳥網日羅、羅截也」とされる。これは「説文」と同様、鳥網説である。ただし唐代、羅は鳥網だけでなく、絹織物にも用いられたことは「大唐六典」巻二二織染署の條に見える通りである。「倭名類聚抄」は 「唐韵云羅、綺羅亦網羅也」としている。ここに見える「唐韵」は「孫愐唐韵」のことである。これによると、羅は網と綺と両者に用いられるとしている。羅が綺というのは、宋代の「廣韻」にも見える。しかしこの説は疑わしく、羅はやはり唐以前と同じように網状のうすぎぬのことであろう。唐代、羅に多くの種類があらわれたようである。「新唐書」地理志の土貢からそれをあげると次の通りである。
春羅 瓜子羅 孔雀羅 衫羅 叚羅 衫閔羅 宝花羅 花紋羅 単絲羅
瓜子羅、孔雀羅、宝花羅、花紋羅はいずれも紋様のある羅である。「白氏六帖事類集」巻二羅第七三にも「雲羅、鳳文、蟬翼、(並羅名)」とある。これらも紋様のある羅のようである。
(6)練。巻二三では「珠叢曰、鎔金使精曰錬、煮絲令熟曰練也」とされている。これは唐以前と同様、ねりぎぬのことである。「倭名類聚抄」も「蔣魴切韻云、練、熟絹也」としている。
(7)縑。巻三六では「音兼、絹也」、巻九三では「頰嫌反、廣雅、緝(繰)謂〔之〕、説文、縑、〔并〕絲繒也、従糸、兼聲」とされている。巻三六と巻九三の説では大いに相違する。一方では縑を絹とし、他方ではふたこぎぬとする。一般的には後者の意味で用いるが、前者の意味で用いる例は他にも見られるところである。任大椿も引いているように「漢書」巻九七上外戚傳上に「作縑単衣」とあり、顔師古の注では「今之絹」とされ、宋代の「韻」でも「縑絹也、絹縑也」としている。顔師古(五八四─六四八)は唐の太宗のときの人で、この頃、縑は絹と同一に解されたというのである。おそらく唐から宋にかけて縑は絹と同一に使用されたこともあったと思われる。ただし任大椿はと絹とに区別があったことを詳論している。
(8)縞。巻三六では「高考反、韻詮、縞白也、小爾雅云、絹之精者曰縞也」とされる。引用の「韻詮」は唐の武元之の著、「小爾雅」は漢の孔鮒の著である。これは任大椿ものべているように唐代以前から網の精なるものを縞といい、またその色は白であった。色については、任大椿は「漢書」食貨志顔師古註「縞皓素也」、「後漢書」順帝紀章懐太子註「繒之精者日縞」などをあげている。
(9)綃。巻三六では「音消、鄭注礼記云、綃繒古今名也、毛詩傳、綃、謙也、又云、綺属也」とされている。これによると、綃は繒、縑、綺の属に用いられている。任大椿は「廣雅」を引き、「絆謂之絹」とも言っている。綃には各種の用い方があったことがわかる。
(10)綾。卷六六では「力舛反、埤蒼云、綾似綺而細也、説文云、東齊謂布帛之細者曰綾也、従糸、夌声、夌音同上」とされる。「埤蒼」を引いて綾は箱に似ているが、より細かいものとされている。「埤蒼」は三國魏の張揖の作である。この規定は玉篇でも同一で、「倭名類聚抄」は「野王案、綾似綺而細者也」としている。綺と同様に紋様のある絹織物であるが、よりは細かくかつ薄いものを指したようである。この綾は任大椿も指摘の通り唐代とりわけ貴ばれたようで、その種類も多い。今、「新唐書」地理志により土貢の綾をあげると次の通りである。
文綾 方紋綾 仙文綾 雲花綾 亀甲綾 雙距綾 溪鷘綾。鏡花綾 雙絲綾 独窠綾 両窠綾 四窠綾 二包綾 熟線綾 合羅綾 緋綾 白編綾 蓮綾 白綾 小紋綾 魚口綾 繡葉綾 花紋綾 十様綾 呉綾 交梭綾 紅綾 樗蒲綾
この他の綾をあげると次のようなものがある。
独窠呉綾 独窠司馬綾(「冊府元亀」巻五〇四邦計部総帛の條引く代宗大曆中の詔)
繚綾(白居易「新楽府」)
盤絛繚綾(「唐書」巻一八〇李徳裕傳)
竹根綾 柹帯綾 馬眼綾 蛇皮綾(「白氏六帖事類集」巻二 綾第七五)
これらの綾は具体的にどういうものか明らかでないのが多いが、呉綾、繚綾(越地方産)が産出の地方名であるのを除き、色や紋様により命名されたもののようである。独窠というのは紋様の裂幅の方向における繰返がない場合、つまり幅一杯の紋様のこと、兩窠は二遊びのもの、四窠は四竝びのものであろう。
(11)紋。卷八七では「分反、考聲云、呉越謂小綾為紋」とされる。とすると、これは小綾、つまり綾の一種であるが、呉越地方でとくにそれを紋と呼んだというのである。「考聲」は唐張の撰であるとされているから、小綾を呉越地方で紋と呼んだのは唐代であろう。
(12)紈。八七では「換巒反、許叔重云、紈、素也、説文従糸、丸聲」とされている。これは唐以前の解釈にしたがったものである。任大椿は執と素とは素潔なる点似ているが、紈は熟絲の繒で、素は生帛という区別があったのではないかとしている。
(13)綈。巻八七では「弟奚反、説文云、綈、厚繒也、従糸、弟聲也」とされている。綈を厚繒とするのも唐代以前の解釈と同じである。
以上は「一切経音義」に見える絹織物の種類であるが、遼の希麟「續一切経音義」は「一切経音義」に見えない織物をあげ、唐代もしくはそれ以前の文献によっているものがある。それを次に見てみよう。
(14)紗。巻五では「所加反、切韻、絹属也、考聲、似絹而軽者也」とされている。「切韻」や「考聲」によっていいるから、隋唐時代の說と言えよう。「倭名類聚抄」も、「四聲字苑云、紗似絹太輕薄也」としている。これらの解釈は隋唐時代と同じで、紗はうすぎぬの一種である。なお唐代、紗にいくつかの種類があり、「新唐書」地理志の土貢に次のようなものがあげられている。
隔紗 平紗 花紗 巾紗
(15)絹。卷五では「古椽反、切韻、縑也、廣雅曰、繁悤鮮支縠、絹也」とされている。「廣雅」の説についてはすでにふれた。「切韻」は縑と同一視しているが、これについても縑のところでふれた。ところでこの「切韻」は陸法言のものとは思われない。というのは、「倭名類聚抄」で「陸詞切韻云、絹、繒帛也」としており、ここに見える「陸詞切韻」が陸法言の切韻であると思われる。この「陸詞切韻」によると、絹は繒帛であるというのであるから、絹織物の総称ということになる。「新唐書」地理志には土貢として次のような絹が見える。
吳絹 小絹 大絹 白絹
吳絹は呉の地方産の絹、白絹は無地の絹であろう。小絹や大絹については流通のことろでふれたが、小絹は小巾の絹、大絹は大巾の絹ということのようである。これらの絹は単に絹織物の総称として用いたのではない。いわゆる平絹のことである。
以上は「一切經音義」共に「續一切經音義」に見える絹織物の種類であるが、それらに洩れている主な種類を他の文献にようって見てみよう。
(16)絁。「倭名類聚抄」は「唐韻云、絁、繒似布也。」としている。ここに見える「唐韻」は「孫愐唐韻」を指すと思われる。宋代の「廣韻」も「繒似布」としている。ただしこの字があらわれるのは割と新しく、「說文」や「玉篇」では糸璽につくられている。「玉篇」だは経緯の粗細同じからざるものとされているが、絁も実体はこれと同じで、任大椿はその絲、大にして粗である点、布と同じであるとしている。「大唐六典」では絹の次にあげられ、かなり廣く生産されていたものであろう。「新唐書」卷二四車服志では流外官.庶人.部曲.奴婢が紬.絹.絁.布を服することになっている。
(17)紬。これはすでに「說文」のときからあらわれ、「說文」は「大絲繒」としていることは前にのべた。「玉篇」も同様の解釈である。また「急就篇」顏師古註も「抽引麤繭緒、紡而織之、曰紬」としており、粗いまゆの糸を紡い織でったものと解している。おそらく唐代も「說文」に見える説と同様に紬を理解していたと思われる。ただ「大唐六典」卷二二織染署の條は紬を「織絍之作」ではなく、「紬線之作」に入れている。「紬線之作」は次の四つとなっている。
一曰紬、二曰線、三曰弦、四曰綱、
これについて任大椿は次のように言う。
考急就偏註、紡而織之曰紬、又考急就篇、纍繘繩索絞紡纑、註謂紡切麻絲之屬為纑縷也、紬先紡而後織、則是先為縷、而後織、質近于線、故唐制紬與線同作、今時有線紬、或其遺制與、
この説明で先に紡いで後に織ると、質が線に近いから、唐制では紬と線と作を同じくしたというのはよく理解できない。これはおそらく紡いでつくった糸が大糸なので線と同じ範疇に入れられたということだはないかと思われる。なお「新唐書」地理志は土貢として次の紬をあげている。
平紬は平織の紬、花紬は紋様のある紬である。綿紬は明らかでないが、或は綿からつくった紬ということであろうか。



