(《大和文華》第101號,1999年3月)
鬼子母神と石榴:研究の新視点

田辺勝美

はじめに

我が国の女神を代表そろものの一つに、吉祥天や弁才天と並んで鬼子母神(訶梨地母、歓喜夜叉女)がある。この女神は、数人ないし一人の子供を抱えた姿で描写されるのを原則としているが、更に、その持物として石榴が知られている。石榴は無論、古来から豊穣多産のシンボルとして、西アジアから中央アジアの美術には頻繁に描写され、ヒッタイトの大地の女神クババ、キュベレ、ギリシアのデメテール、ヘラ、アテナなどの女神の持物となっているから、鬼子母神の特性を象徴するのに誠に相応しい果実であるといえよう。(注1)

ところが、この鬼子母神は本来、佛教とともに我が国に伝播したのであるが、鬼子母神の源流たるインド、ガンダーラでは、石榴を持った姿では描写されてはいない。石榴を持つ鬼子母神像が登場したのは中国(唐、宋)で、その中国の鬼子母神像が我が国に伝播したと見なされているのである。(注2)何故、鬼子母神は中国において石榴を持つようになったのてあろうか?

これが筆者が本稿で若干考察しようとする問題である。

我が国における鬼子母神の研究は少なくない。(注3)しかしながら、我が国の鬼子母神像の典型的な持物である石榴が、(1)何故に鬼子母神の源流であるインド、パキスタン(ガンダーラ)の鬼子母神像には見られないのか、また、(2)何故に石榴が中国の鬼子母神像に用いられるようになったのか、この二つの基本的な問題に対して十分納得のいく説明がなされていないのが現状である。

無論、(1)の問題は対しては、石榴はイラン高原や中央アジアなど、乾燥した土地を原産地としているから、亜熱帯で湿気と雨量の多いインド亜大陸では良質の石榴が育成されない(注4)という事情を考慮すれば、古代‧中世インドの美術作品や鬼子母神像に石榴が描写されていない理由を一応は説明できるであろう。しかしながら、同じく乾燥地帯の中央アジア、西アジアの果実たるブドウがサーンチー、マトゥラー、ガンダーラなどの佛教彫刻に描写されているから、このような気候風土の特異性だけでは納得できないであろう。(注5)

また、(2)の問題に対しては、佛教が中央アジアを経由して中国に伝播する間に、中央アジア原産の石榴が鬼子母神の特性を象徴するのに用いられたのであろうと推定することは容易であろう。しかしながら、中央アジアと一口にいっても、その地域は広大である。中央アジアのどこなのか?、東トルキスタンなのか?、西トルキスタンなのか?、その起源地を特定し、実際に中央アジアで石榴を持ち、子供を抱えたり、侍らしている女神像が制作されていたことを実証しなければ、学術的な解答とはいえないであろう。更に、石榴を手にする鬼子母神像が中国で中央アジアとは独立して出現して可能性も無視できないのである。

このような研究現況に鑑みて、鬼子母神像の石榴の起源について既往の研究には見られない新しい筆者の研究視点(結論ではない)を以下において述べて参考に供したい。

注1 F. Muthmann, Der Granatapfel, Bern, 1982, pls. 21, 38, 39, 51-55.
注2 小林太一郎 「支那に於ける訶利帝-その信仰とその図像とについて-」『支那佛教史學』第2卷第3號、1938,1-48頁。小川貫弌「パンチカとハーリティーの歸佛緣起」『佛教文化史研究』永田文昌堂、1973,31-79頁。
注3 三輪善之助『小安觀音と鬼子母神』不二書房、1935。宮崎英修『日蓮宗の守護神-鬼子母神と大黑天-』平楽寺書店、1958。宮崎英修(編)『鬼子母神信仰』雄山閣、1985。田代有樹女「訶梨帝母の持物‧「吉祥果」」『名古屋造型藝術短期大學研究紀要』第7號、1984,101-157頁;「訶利帝母の形相の二類性について」(上)、(中)、(下)、『名古屋造型藝術短期大學研究紀要』第8號、第9號、第10/11號、1986-88;「訶利帝母の図像學的考察-形相を中心としての五分類-」『東海佛教』第37號、30-43頁。
注4 城山桃夫『シルクロードの果物』八坂書房、1983,124、136頁。無論、インドにも石榴は移植されていた。玄奘『大唐西域記』第2卷では「石榴‧柑橘類はいずれの国でも樹えていた」と記す、大正新脩大藏經、第51卷878頁上。B. Laufer, Sino-Iranica, Chicago, 1919, p. 282. ただし、良質のものとは考えられない。O. Prakash, Food and Drinks in Ancient India, Delhi, 1961, p.149. P. V. Sharma, Fruits and Vegetables in ancient India, Varanasi, 1979, pp. 27-28. マウリア朝ないしクシャン朝時代以降、石榴(dädiṃa)はインドで知られていたという。
注5 林良一『東洋美術の植物文樣』同朋舍、1992,225-231頁。

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