バイリンガル帰国生、緑さんの苦悩

緑さんは15歳のときにカナダのトロントにやってかた。小学校時代もアメリカで過ごした緑さんにとっては二度目の海外生活ではあったが、小学校の途中からはシカゴの日本人学校に通っていたので自分の英語力に自信がもてなかった。そのため、トロントの学校生活は、まず英語を母語としない学生が通うESL(第二言語としての英語)の特別プログラムからスタートした。小学校の低学年の頃は、ほとんど日系人のように英語を操って毎日アメリカ人の友達と遊んでいた記憶のある緑さんは、すぐにESLを出て、普通のクラスに入れるだろうと高をくくっていたのだが、現実はそんなの甘くはなかった。

その学校には数多くのアジアを主とした外国人学生たちが在籍していたこともあり、完璧ともいえるほど、ESLのシステムが整っていた。ところが、システムが整いすぎていたためかESLの学生と、「レギュラー(通常)の」勉強をしているESL以外の学生の間には、まるでカーストのように上下関係ができており、両者の間には敵意や反感しか存在していないような状態だった。そんななかで、緑さんは徐々にやる気を失い、2年目になってもずるずるとESLのコースを取り続けていた。そんなある日、緑さんに信じられないことが起こった。彼女が教室の鍵を閉めて1人で理科の実験をしていると、「レギュラーコース」の学生が鍵のかかっていないドアをみつけて押し入ってきて、こう言った。「Are you deaf or ESL?」(あなた、耳が不自由なの?それともESL?)。そのとき、ESLの学生であることはまるで障害をもっているのと同じなのか、とひどく彼女はプライドを傷つけられたという。その頃の気持ちを緑さんは次のように語っていた。「ESLの友達と一緒にいると、とても楽してど、自分も含めてみんな二級市民だって思う。カナダ人たちは自分たちを『不完全な』人間だって思ってるのを知ってるし。で、ここに属している人たち(カナダ人)との付き合いもなくて、ここの本当の暮らしをエンジョイできているわけじゃない。英語もたいしてうまくなっていないし。」

こんなふうにカナダの学校生活を過ごして日本に帰国した緑さんだったが、大学入学にあたっては帰国入試のおかげて、親の希望通り、一流と言われる国立大学に入学することとなった。ところが、大学に入学した緑さんは、またここでも劣等感にさいなまれることになってしまった。激しい受験戦争を勝ち抜いたいわば「勝者」のようなクラスメイトたちの中にあって、彼女は自分が彼らほど知識もなければ能力もなく、まるで間違って入学してしまった「場間違いな」人間のように感じたというのだ。カナダにいたときは自分の英語力不足のせいでまわり溶け込めなかったと感じいた緑さんだったが、日本に帰ってきて今度は日本語力さえも不足していることに気づいてしまった。「英語も日本語も、両方が中途半端。日本語の新聞は難しくてわからない単語がたくさんあって、読めないし。といっても英語の新聞も同じこと。私には、難しすぎる。私ってなんて中途半端なんだろう。」と自分の語学力不足に悩む緑さんだった。

考察

いつ頃からか、帰国子女タレントという人たちがテレビに登場するようになった。それ以降世間では、「帰国子女」というと「英語がペラペラでかっこいい」というイメージが定着し、「親のお陰でいい思いをして、楽に英語をマスターできて、うらやましい人たちだ」などと勝手な思い込みから「色眼鏡」でみるようになってしまったのではないだろうか。しかし、実際は緑さんのように渡航先では英語で苦労し、思ったほどの成果も挙げないまま帰国している人も多いという。また、この問題を複雑にしているのは、親たちでさえ、自分の子どもの苦労や抱えている問題を理解していないことが多いということである。親は発音に四苦八苦している自分たちに比べると、みるみるように美しい発音で話すようになる子どもをみて、「適応できている。英語も上達していす」と思い込むようだが、実際に現地の人と同じレベルで、抽象的な思考がその言語を使ってできるというところまで到達するのはそんなに簡単なことではない。まだ、数学や物理が得意な人がいるように、言葉にも得意、不得意があるのはあたり前であるという基本的なことを忘れている親も多いようだ。つまり、どんな子どもでも外国に連れて行ったり、インターナショナル・スクールに入れれば、簡単に「英語がペラペラになる」というのは、間違った思い込みである。

緑さんのように、大人になったときにどの言語も中途半端だと本人のとっては大変大きな問題であるが、きれいな発音の日本語や英語を聞いている限りは誰にも本人がそのような悩みを抱えているとは気づかない。また、まわりの人がそんな悩みに気づかないために「どうしてそんな漢字も知らないの」などと気軽に言ってしまい、知らないうちに相手の傷口に塩を塗るような行為をしてしまっているということも起こるようだ。そんなとき、「外国で育ったから」と自分の失敗を笑えるような性格であればまだ救われるが、緑さんのように責めてしまい、うつうつとしてまうということになれば、問題は複雑になる。この例のような場合、まず渡航先では親がしっかり自分の子どもの状態を観察し、彼女がどのような問題を抱えているのかを理解する努力をしていれば、話が少し違っていたかもしれない。また、帰国後についても彼女の感じているれ劣等感や不安感を理解し、ケアしてくれるような人がまわりにいれば、彼女の悩みもいもいくばくかは軽くすることもできだろう。どちらにしても、周囲の人の理解と配慮が大切だということになろう。

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