目前分類:der Kunstgeschichte (52)

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大足石刻03
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北山佛灣130窟.jpg
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大足石刻01
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原文連結
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Antonia Blumberg,2014年6月24日,The Huffington Post (原文連結)

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金維諾
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林泗水,1972年版

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日本の場合は、元代から明代中期(一二七一-一五二一)まで、元代李郭派・明代南宋院体山水画風という二つの東アジア国際様式は行われた、二百五十年の中国山水画史の展開を踏まえつつ、ほぼ同時期の日本の鎌倉後期・南北朝・室町中期までの山水画史を概観することは、極めて困難である。鎌倉時代(一一九二-一三三三)や南北朝時代(一三三一-一三九一)、南北朝時代と重なう室町時代(一三三八-一五七三)初期には、絵卷などの画中画により、数多の大画面障屏山水画が制作されていたことが知られるものの(「図版 画中画:障子絵、壁貼付絵、腰貼付絵、杉戸・戸障子絵、屏風絵、衝立絵」、武田恒夫「中世障壁画とその画中画」『中世障壁画』京都国立博物館、一九六九年)、山水画それ自体として評価するに足る作例は、「山水屏風」(神護寺)など二、三の例外を除いて、現存しない。「山水屏風」それ自体も、元代李郭派・明代南宋院体山水画風とは何ら関わりのない、むしろ唐代の着色山水画に連なる古様な作例であり、いま本稿で言及すべき対象ではない。ただ、その中期には、鎌倉時代や南北朝時代、及び南北朝時代と重なる室町時代初期等とは異なり、山水画それ自体として評価するに足る作例が現存する。周文の伝称のある「四季山水図屏風(六曲一双)」(東京国立博物館)は、その伝称を有する数点の屏風のうちでも、南宋院体山水画の構図である「辺角の景」に最も忠実な作品であり、その皴法である斧劈皴は、僅かに前景の岩石の表現に用いるのみであるとはいえ、「辺角の景」で左右対称な絵画空間を構成するのは、画面の大小の相異はあれ、「四時八景図冊」に通じる。また、「竹斎読書図」(東京国立博物館)も、周文の伝称のある数点の詩画軸のうちでも、「辺角の景」をなし、最前景の岩石に斧劈皴が認められるから、両伝称作品が周文その人のものであるか否か別として、明代南宋院体山水画風を受容する作家と作品が、雪舟とその作品に先んじて存在していたことは疑いない。

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Marine monsters on the sarcophagus of Shi’s tomb
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朝鮮王朝(一三九二-一九一〇)の場合は、李郭派山水画として最も高い水準の作品の一つであり、世界絵画史の水準に照らしても何ら遜色のない、山水画の傑作が現存する。改めて言うまでもなく、朝鮮王朝前期の安堅「夢遊桃源図卷」(一四四七年)(挿図17・天理大学附属天理図書館)(「本文 67 安堅 夢遊桃源図卷」前掲、『臥遊』)がそれであり、上述のような高麗時代からの李郭派山水画の受容を基盤に、元代李郭派山水画では行い得なかった、相異なる伝統を折衷して斬新な山水表現を現実のものとする傑作である。すなわち、本図は、桃花・桃葉には臙脂・白緑を点じ、遠山には藍を用いており、花木を含む唐代着色山水画や、水墨着彩の南宋院体の手法も拒否してはいない。前後の山容を衝立のように並べる、元・唐棣「倣郭熙秋山行旅図」(挿図2・台北故宮博物院)(「本文 47 唐棣 倣郭熙秋山行旅図」、前掲『臥遊』)のような平面性を有する一方、山容相互には濃淡をつけて前後関係を確定しつつ、雲煙に隠見する前半の桃林や、大気に消えてゆく後半の渓谷の描写においては、北宋・郭熙「早春図」(挿図14)のそれにまで回帰して、大気や光線の再現的表現を追求する、中国山水画を超える徹底した折衷性が認められる。それに呼応して、卷頭の桃源洞内では、画面四分の三の高さに基本視点を置く、元代李郭派や高麗時代の山水画の手法に従いながら、卷後半の洞口から卷尾の洞外では、画面八分の三の高さに下げており、画面半ばの高さに基本視点のある郭熙「早春図」などのそれによるからである。

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すなわち、これまでの簡略な考察による、元代から明代中期(一二七一-一五二一)まで、元代李郭派・明代南宋院体山水画風という二つの東アジア国際様式が行われた、二百五十年の中国山水画史の展開を踏まえつつ、ほぼ同時期の日本の鎌倉後期・南北朝・室町中期までの山水画史、韓国の高麗後期から朝鮮王朝前期までの山水画史の展開を各々数点の伝存作品に即して改めて概観し直してみよう。

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趙孟頫 鵲華秋色圖

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では、漢字文化圏の「書画の東アジア」の伝統は、南洋勧業会から百年余を経た現在もなお、決して断絶してはいない状況のもと、果たして「東アジア美術史の統合的構築は可能であろうか?」洪教授の根源的な問いかけは、そのように言い換えることができる。東アジアについては、地理的に言うと、中国大陸と台湾・香港などと、朝鮮半島・日本列島が含まれる。問題は、東アジア美術史の東アジアをどう規定するかにはない。これまで、中国における「美術」概念の揺籃期に即して述べきたおり、美術史それ自体に何を含めるかにある。中国の場合、西湖博覧会の「芸術館」において、「書画」を第一に挙げ、既に「建築」も含めていたよに、現代の『中国美術全集(絵画編・彫塑編・工藝美術編・建築藝術編・書法篆刻編)』(北京:人民美術出版社・上海人民出版社・北京:文物出版社・北京・建築工藝出版社・上海書画出版社 一九八四-九二年)でも、ヨーロッパの「美術」概念を踏まえつつ、「書画篆刻」という文人書画観に基づく分野を保っている。また、韓国においても、同断であり、『韓国美術全集:日本語版』(ソウル:同和出版公社、一九七四・七五年)では、「篆刻」を欠くものの、「書」「画」「建築」の巻を有るからである。その意味では、中国や韓国において、文字どおり「東アジア美術の統合的構築」を行おうとすれば、「絵画史」などに「書法史」「建築史」を含まなければならない。それに対して、日本においては、「書法」は、既に触れたとうり、明治時代に「美術」の範疇から外されて、史的考察は、「美術史」とは独立した「書法史」として行われており、「建築史」も、同様に、工学系部局の建築研究室で「美術史」とは全く別に研究されて来ている。すなわち、日本においては、「書法」が外れることは別として、「建築」も「美術」概念に含まれないまま、例えば、『日本美術全集』(東京:講談社、一九九〇-九四年)では、原始から飛鳥・奈良、平安、鎌倉、南北朝・室町、桃山、江戶、近代まで、時代順に通史的に各時代の絵画・彫刻・工藝・建築各分野に関する記述を各担当者が行って、ヨーロッパ本来の概念と整合性を保ちつつ、「日本美術史」として相応の一貫性を有しているとすれば、日中韓三国それぞれの時代順に通史的に各時代の絵画・彫刻・工藝・建築各分野に関して各担当者が行った記述をまとめることが、「東アジア美術の統合的構築」の第一歩となろう。「書法」についても、同様にまとめることは、可能である。

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それのみではない。博覧会の場合は、『美術叢書』刊行の影響は、より一層、顕著である。すなわち、その初版本の初期刊行直前の清朝最末期、宣統二年(一九一〇)開催の南洋勧業会では、「美術館」が設けられているものの、「工藝門、鋳塑門、手工門、彫塑門」(「南洋勧業会遊記・巻一・美術館」『中国早期博覧会資料匯編(二)』北京:全国図書館文献微縮複製中心、二〇〇三年)の四部門のみしかなく、美術概念の範疇を明確に認識し得ておらず、「美術館」の体をなしてはいない。それに対して、南洋勧業会に次ぐ、中国で二番目の博覧会であり、『美術叢書』再版三集本刊行(一九二八年)直後の民国十八年(一九二九)開催の西湖博覧会に設けられた「藝術館」では、「陳列目的」として、「我国の藝術は、世界の藝術史上、久しく相当なる地位を有したり。書画には固より代に名家有れば、即ち雕刻・塑像・刺繍等、亦た往々にして特別なる絶技有り。近代に至りては、欧風東漸し、而して宗風未だ泯びす。作者は毎に多く東方の意味を以てす。新藝術の産生、或いは此に於いて之を卜するなり」と高らかに宣言し、中国的な書画概念を保持しつつ、ヨーロッパの影響を蒙ったとしても、多くは「東方の意味」参じて、「新藝術」の産生がなされようと主張する。また、「徴品内容」としては「計分るに、西洋画・中国が・書法・(郵票)・(金石)・工藝藝術・雕刻・建築・(写真)・(音楽用具)・(小工藝品)等と為す」とし、絵画・彫刻・工藝・建築からなる、ヨーロッパ本来の美術概念をより正確に把握しつつ、写真や楽器、中国の鼻煙壺や日本の根付といった小工藝品などをも収集対象とする現代の美術館の収集方針にも沿う先進性を見せる一方で、ヨーロッパ本来の美術概念には存在しない書法が採り上げられており(「西湖博覧会指南」「四 各館所詳細地点及内容」「(三)藝術館 地点 陳列目的 徴品内容」、前掲『中国早期博覧会資料匯編(四)』)、ヨーロッパ本来の美術の枠組を受け容れ、北宋末期、蘇軾により文人書画観が確立されて以来、八百年以上に亘って継承されてきた中国の伝統的な書画の枠組は放棄しながらも、書法自体は固守する。「西湖博覧会総報告書」(前掲『資料匯編(六)』)のうち、「藝術館」本来の陳列品を扱う「藝術品研究報告一(甲部)」では、しかしながら、「一 国画」「二 西画」「三 書法」「四 彫塑」「五 建築」「六 工藝美術」の六報告の「一 国画」「四 彫塑」「五 建築」「六 工藝美術」については、適切な報告が行われてはいるものの、「二 西画」については、担当の高剣父の研究が遅延して報告が行われず、詳細は知り得ない。「三 書法」についても、「数量本より已に極めて少なし」とするなど、捗々しい報告は行われないままであり、美術概念の普及により、それに含まれない書法は、中国においてすら、徴品に苦しむ状況にあったことが知られる。その一方で、注目されるのは、「藝術館」本来の陳列品ではない。会期中に多数の収蔵家が陳列に参加したいと願って持ちこんだ所蔵品を列挙する「藝術陳列品研究報告二(乙部)」であり、「六 攝影〔撮影〕」を除くと、所謂書画骨董に属する「一 金石」「二 書画」「三 匋瓷(陶磁)」「四 古玉」「五 工藝」のすべに亘って、数多く作品が寄せられているにもかかわらず、最新の「六 攝影」のみは僅か二点に止まるのは、美術の枠組の普及の一方で、書画のそれがなお維持されていた状況を端的に物語るものと言える。

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六、餘論
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五、湖社與後期的中國畫學研究會
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前文:(一)(二)(三)
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抹大拉的瑪利亞
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美術史論叢27,2011
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Mona Lisa
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